カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

平成三十一年四月三十日

Santuk
1 Phnom Srah Khcau アクセスに苦労することなど遺跡についてはグーグルマップに口コミ書いておいた。サンクチュアリー。
昨日の遺跡の名前じゃないが鉄の杖を持ったにいちゃんがいた。なんかリシ仙みたいな行者ぽい。ガイド氏が聞くと街から歩いて来たらしく森の中を歩いて移動しているらしい。
食べ物は木の葉など食べてるという。
仏堂で線香あげようと思ったらライターが切れていてつかず、ライターを貸してくれた。
ガイド氏最初鉄棒持ってて怖かったというが優しい人だった。彼は祈ってるので夜森の中にいても蚊に刺されないと言う。ほんとか?
彼の人生何があったのか知らないがそういう求道生活も出来るのならいいものかもしれない。

Baray
2.Tuol Vat Angkor Tung Knong
田んぼの中にポツンとある。仏堂が建てられて遺跡の構造は分からないが石材が北東角に新しい折衷の神像の元に集められている。北東に池がある。陶片少々。
3.Vat Tuol 丘状の遺跡の敷地にこちらは寺が建っている。
4.Vat Prasat 名前から期待するが遺跡自体はやはり消えて現代の寺の下に。台座などあるが露店のクーラーボックス置きになっててかつて鎮座してた神仏もがっくりしているだろう。
5.Vat Chatulok古そうな石材一個のみ。小学生に群がられてハルメンのホラ吹き男と化す。花やら木の葉やらやたらくれて付いてくるが写真撮ろうとすると逃げるシャイボーイたちである。
5.Vat Banak
行く途中喉が渇いて飲み物買おうと道端の店に入るがクーラーボックスの中はあまり冷たくない。と言うと奥から冷えたポカリスエットのペットボトルを持ってきた。ポカリはあっという間にカンボジアでも普及したもんだ。寺の中で地面にポカリのボトルキャップが捨てられたりしてるの見つけるとなんともな気分になる。
チェン?中国人かと聞かれるので日本人と答えると店のあんちゃんがドヤ顔でメイドインジャパン!とポカリを差し出す。
カンボジアで流布してるのは韓国産の250ml缶が多いが最近見るようになってきた500mlのペットを見てみるとシンガポール製だった。

で遺跡についてはこの寺院も特に痕跡を見いだす程度であった。
6.Vat Baray 残欠が数点10世紀の破風が美しい台座はプレアンコールもある。ネアクターにも屋根飾りらしき神像の残欠と台座。本日はプレアンコール期と10世紀のセットが多い。
その後昼飯を食べるため村の食堂を探す。国道では警官がビデオカメラで往来を撮影しているがノーヘルのバイクを捕まえるためじゃない。
行ったり来たりして不審がられたら嫌だなあと思い小さな食堂に男どもが集まってるが他にないのでそこに入る。
テーブルに7、8人座ってトランプの大富豪みたいなのをしていい歳したおっさんが叫んでうるさことこの上ない。もちろん無邪気に遊んでるわけじゃなく10ドル紙幣渡したりしている。
おっさんの一人は帽子を横のテーブルに置いてるが帽子にはPOLIC(略と書いてある。呆れたもんである。
ガイド氏に言うと逮捕するのとされるのが一緒の人と言ってゲラゲラ笑う。
焼き飯を食って退散する。

さて本寺のメインである、グーグルマップにカンボジアの人が登録している遺跡2箇所である。
7.Tuol Ta Pichこっちは遺跡地図にも載っている。東の参道と環濠、これはまだしっかり残っていて東に回り込んで入るがその前に北東池二つ。
遠くの池はそこそこ大きく陶片わずかにあり。アリもいて全身群がられしばらく戦う。多分この時マイクロファイバーのタオル落としたらしく無くした。いつのまにかKNTMまで噛みつかれて辟易する。

遺跡は墓地化していて壊されるのが遺憾である。が今のところ仏堂の柱だけ建ってるが工事は放棄されているようでやめてほしいもんである。
ラテライトの周壁、基部とかつてのレンガの主祠堂の入り口の砂岩の枠が残る。台座なども落ちていて遺跡らしい遺跡である。見ると西参道もあったのでそこから出ると環濠西北の畑にも陶片わずかに見いだす。

この辺りから風がまた強まり東で雷鳴がしだす。
8.Tuol Yeay Serei
ここは遺跡地図にはなくCISARK に登録されてたのか?だが今や唯一に拠り所である御先達の遺跡リストで帰国後確認しようと思う。

カンボジア人の二人はまた2年前同様慌ててスマホの電源を落とすが、で電波関係ないと思う。
わたくしはカメラやら色々しょってるので諦念の境地だが、山みたいに金属製品がビリビリ帯電したりの予兆がないならしょうがない。

道から遺跡へ歩いて行くと東で盛んに落雷している。まだ距離は2、3kmあるが。
遺跡の南のその畑は陶片が無数に落ちていて土器から黒釉陶器まで多彩である。が野っ原で雷鳴の中うろついてもアホの極みであるので木が生えている遺跡へ行く。こちらは東参道のみの環濠を持ち、ラテライトの外周壁のあるレンガ寺院で建造物は前衛の経蔵2基と3祠堂のことごとく壊れ穴が見える程度、主祠堂の上には小屋が建ってて鍵がかかっていてわからない。
だが落ちている砂岩の破風や基部の装飾が美しい。やはりクリアン様式、10世紀であろう。遺跡に点在する低木の下に滑り込んで写真を撮って移動を繰り返す。雷鳴が頭上で鳴り出すが幸い落雷はなく天気も晴れ気味である。かえって風が涼しく汗をかかないので身体的には心地よい。精神的には緊迫しているが。徐々に雷鳴落雷の頻度も減りつつ南に移っていった。
しかし西の畑で作業してたおばちゃん二人もとっくに避難してまだ危なくないとは言えない。
もう少し見たかったが引き上げる。涼しいのでタオルがないのも気づかなかった。
しかしやっぱり陶片を見出だすと雷どころじゃなくなる。もう晴れて雷鳴は遠ざかったので色々見つける。
宋の白磁、合子の蓋のかけらなどもあるが畑で耕されてもったいないこと限りない。

グーグルマップでは東の参道の先の土手を行くと環濠のある地形すなわちTuolがあるのが見て取れるがこっちにも色々あるかもしれない。
遺跡研究するなら周囲のこういう生活遺構も含めて調べないといけないのではとアカデミズム界隈には言いたいが今回は自分も行ってないのでおまいうである。

9.Vat Po Pech (Thmei )or Vat Kdei Thlok
国道沿いで期待してなかったがここもかサンボープレイクック様式のリンテルと破風の両端のナーガ像、10世紀のが飾ってあった。
それだけじゃなく本堂西側に二つの時代の台座などが置いてあった。
寺の蔵にこういうことがあるのかも知れない。全て州文化局の登録済みでその指導あったのかもしれない。

もう少し時間あるのでどうせなら
10.Phnom Sruoch へ行くがグーグルマップで見える道が採石場跡で途絶していて歩いて登る。と普通の車道に出た。急がば回れである。
山上は寺で犬が3匹やたら吠えまくり狂犬病騒ぎのためガイド氏がビビりまくるがそうならここの坊さん全滅してるはずなので大丈夫だろう。砂岩の山上の土の部分にレンガ塔が建てられていたようだが壊れまた仏堂が建っている。
石材などは散見でき仏堂の下階段の脇に集められている。

岩が多いが岩には彫刻などなくやはりメインは真ん中のPhnom Santuk でその東西に今日の最初と最後に寄った山の遺跡があるということだがそのメインの山が肝心のプレアンコール期の遺物が残ってないのは不思議である。

帰りに山の南の道を行くとちゃんと車道の入り口に大きな矢印だけの看板があった。

大概ストゥンセンを通過ないし滞在する旅行者
が飯を食ってるホテルのほうのArnarasの
レストランに入ると運転手氏の友達がいるというので見ると以前2回ほど世話になり稀にプノンペンからシェムリアプの途中で出会う運転手さんがいて挨拶する。彼は知人と一緒にクラチェの遺跡歩いて付いて行ったりとなかなかナイスガイである。というか大抵の運転手氏は親切である。ので本当三月の事件は悔しい。

平成最後の日はこういう感じでしたが昭和最後の日は友達と家でどんちゃん騒ぎしてたのでまだマシだろう。
昭和天皇崩御されて新宿で万歳してたようなゴミが未だに国会議員しているような日本だがこれからどうなることやら。