カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2019年雨季の筈の旅 1

※ リンクのグーグルマップの位置が間違えて張り付けていましたので訂正しております。
失礼いたしました。

帰ってきたらCISARKさん復活してますね。画像が表示されませんが。

またいろいろ消えてるんでしょうけど。というわけでわかる範囲でCISARK No.も入れておきましょう。
今回回った遺跡について画像と場所つきであげておきます。

4月27日
Kompong Thom 州
Stoung

1.Banteay Stoungの南の遺跡2.に行く途中にある。石材や台座が結構ある。
イメージ 1

またさらに南のTuol 丘には陶片少々 農道にも少し落ちている。
2.Banteay Stoungストリートビューでも見れるようになっていて、レンガ塔自体は後世に作られたものでポストアンコールであろう。しかし台座や壊れた獅子も落ちているがプレアンコールから10世紀ほどの時代の幅はある。あとで思えばこのレンガ塔における、プレアンコール初期と10世紀のリコンストラクションが今回の旅のテーマになって行った。
イメージ 2



ここは遺跡地図にも載ってなかったが川沿いだし何かないかとついでに寄ってみてびっくりした。
ここの石材は登録されていないようで2は当然として、通り道ということもあってか1.のマウンドのほうですら全部石材にナンバリングがしてあったのに不思議である。
イメージ 3

1,2に引き続き、Stoung川沿いに遺跡が点在、今のところ左岸に3か所密集と言っていいか。集積地か河川交通の拠点かなにかあったのだろう。台座の時代は2とほぼ一緒。
獅子はもう少し下がるか?
ここはバイヨン末期からポストバイヨンの石塔も本堂内に数点保管されていて、そのころから仏教寺院としても、あったのだろう。
イメージ 4

遺跡としての重要度は2と同等以上の意味があるが遺物にナンバリングされてないのが不思議である。

4.Vat Ponlea Chey 0111 IK197.01
PLAN以外遺跡の痕跡に乏しく、ネアクターにも石材の残欠が。小さすぎてよくわからない部分。
イメージ 5

しかしここも1,2,3の下流川の左岸である。この遺跡の南北には怪しい個所があり、
ここのような右岸だが往時相応の大寺院だったのではと思える箇所や、
ここを見に行くべきだったかもしれない
しかし着いた当日で酷暑で今回はあまり田んぼの中歩くのは控えようと思い次回以降の宿題である。

Vat Srei Tuol特段遺跡地図にも載っていないが通り道で寄ってみたが何もなかった。その南南東のTuol二つのほうが見るべきものがあるかもしれない。


Kompong Cham 州
Vihear Thom
6.Vat Andong Svay 北の丘 2月からの再訪。
丘に多数あった石積みはただの売り物用砂岩を積んだものだった。まあそうそう考古学的な発見が今更あるもんでもない。が、村人からの聞き取り調査で、丘の頂上の小屋はここ数年、よくわからないカルト信仰していた人の祈祷所だったらしいがその人もめっきり来なくなって放置されているとのこと。
イメージ 6

その土台や敷地のラテライトの石組、あまり遺跡て感じではないものの、それは村人も知らない昔からあったとのこと。ただここが所在不明の遺跡Vihear Thomというには地形も、向きも違うようだ。

7.Neak Ta On Mung 不明で寺の近辺の人も知らないからしょうがない。寺の壁の内側の岩だと店のおばちゃんはいうけどここらへん、ラテライトも砂岩もごろごろした土地であり、あてにならない。
イメージ 7

コレジャナイ

CISARKデータは消えてしまっている。しかしあとで見ると寺の南側が怪しい。また行く機会はあるかもしれない。

8.おまけでBoeng Thom 運転手氏がポルポト時代を過ごし漁業に従事していたこの地。
イメージ 8

4月28日
Kratie州
1.Vat Chambak 3608
CISARK見れて分かった。7㎞北の遺跡Stoeng Thom(川あるのか?)からリンガを持ってきてこの寺に保管しているということらしく、3.の山のお坊さんが教えてくれたのはこのStoeng Thomに遺跡の基部が残っているということだったようだ。ひっそりして人の気配がない、村の中の寺だったので話聞けなかったが、また行かなければならなくなった。
イメージ 9

八角形しているがただの僧坊の柱の基礎というだけかもしれない。

2.Tuol Chedei 碑文Ka.84。大体予測した通りの場所。グーグルマップで示しているのは東の端の墓。
7世紀から8世紀のレンガ塔の基部が2?と西の丸い大穴。日誌にも思わず上げたが墓の縁石になっていた貴重な装飾つきの石材。クラチェに次回行ったとき文化局に知らせようと思う。
イメージ 10

3.Tuol Ta Vong
遺跡地図はTuol Ta Ongとあり、若干1.とは位置取りが違う。遺跡地図このあたりはややずれがあるようだがどうなのか?ちなみに何もないこの集落最大の墓地。山上まで砂岩がごろごろしていて竹が生えていて歩きにくい。ときどき自然石で区割りしてるところがあったが遺跡じゃなく墓の分譲でしかないのか?
イメージ 11

4.Phnom Soporkalay CISARK1703(データ消滅) IK140.03 遺跡地図ではメコン河畔に載っているがそんな地形はない。
山上の寺院だがメコン川方面より、反対側の原野の広がる光景のほうが開けていて景色が良い。
イメージ 12

グーグルマップでも口コミに歴史サイトとはあるが、特段遺物は見いだせなかった。ここの僧坊で遺跡についてお坊さんに尋ねると、山の中に土台だけが残っているという、さっき行ったVat Chambakから行くという。探すことに。しかし、今になって考えたらCISARKのかろうじて残っているデータから、Vat Chambakの北7㎞のStoeng Thomからリンガ、の一部を持ってきて収めたということでStoeng Thomのことを教えてくれていたようだ。
そのStoeng Thomがどのあたりかわからないが寺からジャスト7㎞北の、これか?

しかしそのときはCISARK参照もできず、無駄に現代のStupaを村人と探して見つけただけだった。
特段歴史的意味があるか不明だが
イメージ 13
ここ
イメージ 14
ここ こっちは仏暦2507年と書かれているので西暦1964年建立のストゥーパである。池trapeangもあるのでなんらかの遺跡だったかもしれない。
がこのあたりで砂嵐がひどくなり目もあけてられなくなった。

結局1か所以外は遺跡は見いだせなかったが、Stoeng Thomについてはまた探してみたいと思う。

Kompong Cham州
Hanchey group

5.Kok Preah Theat まあまあ有名と思う。ラテライトの寺院でプレアンコールなのだが…。グーグルマップの口コミがひどいので書いておこうと思う。
ストリートビューで見れるので寺院自体は置いといて。
イメージ 15
 修復によって不要になった、石材同士をつなぐ連結材が余って集めて放置されていた。これまでラテライトで作るとはこだわりを感じる。
砂岩で作ってるところもあるが。

6.Prasat Hanchey IK.83
北の砂岩のアシュラムは何度見ても美しい。
南のレンガ塔はKompong Preah様式か。グーグルマップでKok Lveaになっているのは間違えにもほどがある。
イメージ 16
西壁面中央下部の装飾、ミニチュアのプラサート、日本なら国宝になってるであろうこのアシュラムは。

イメージ 17
レンガ塔の碑文K.81の北扉の冒頭。レンガ塔自体はコンポンプレア様式に見えるが碑文は6-7世紀。


7.Prasat Kok Lvea 碑文撮りに再訪したが。夕方で雨あがりで暗くて今一つだった。
ここも7世紀の遺跡を10世紀に再建、その際碑文のあった石扉を削って加工して入口の天井に配置するという迷采配。あるいは故意にかもしれないが。
イメージ 18

写りが悪くて絶望的だが、カットされた碑文下部。Kナンバーは未確認。なかったと思う。

ラージェンドラヴァルマン2世王をレンガ王と勝手に呼んでいるがこの旅でこの先どんどん本領発揮していく。