カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2019年雨季の筈の旅 2

地名が抜けてたので追加
4月29日

Kompong CHam州

Dambang Daek(鉄の杖 村)
‌遺跡の跡候補と思われる寺が二つ。たぶん2番目だろうと思うが1番目の
名前自信ないが
Vat Audom Ratana Danbang Pech 最高の宝であるダイヤモンドの杖 寺
へ行く。
しかしわたくしがなくしたのは鉄の杖でダイヤモンドの杖じゃございません。
ということで次に。

1.Vat Preah Theat Techeh ちょっとしか離れていないのに今度は「地味な仏舎利の寺」と一気に謙虚である。
寺のお坊さんのお話でここが
Prasat Dambang Daekであったとわかった。

日誌にも記したが、シハヌーク時代にこの寺院を建てるため遺跡を埋めて土を盛ったので何もわからなくなった、とのこと。昔は遺跡なんて気にしなかったとも言われてた。
全く痕跡を見いだせずにいたが、さらに近くの小学校に石材を運んだことも教えて下さる。
ありがたいことである。


2.Hun Sen Dambang Daek Primary Schoolグーグルマップのストリートビューで校舎の前のタマリンドの木の下を見れば石材が集めて置いてあるのが見える。
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村を離れて7号線ぞいを西進す。
Krala
3.Vat Anduong Dei Serei Sokher
遺跡地図には載っているが何も見つけられなかった。唯一ネアクターの祠でなんかの像の残欠。一応砂岩だが。

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Skun
Srama
4.Vat Srama 3911
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そこそこ台座や石材が残っていた。

5.Prasat Unnamed
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小説で出てくる銃は発砲されてしまうように、遺跡に立てかけられてる熊手は遺跡を破壊する。
本当勘弁してほしい。6号線からすぐだが、CISARK(画像全滅してますね・・・)もデータ消えたのかもともとないのか載っておらず、4,6の遺跡とも近いのに遺跡地図にも載っていない。しかし白い日干しレンガの、よってもみ殻が混じっていると村人のおばちゃんがレンガを破損して見せたのだが、プレアンコールの、3基のレンガ塔の跡である。写真は中央祠堂で、北は人家が上に建っていて、南は埋もれて塚のようになりいつもの盗掘穴が開いている。前面=東に池もある。2つか?

6.Tuol Chhuk Toch 3912
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5.の無名のレンガ遺跡の村人が案内してくれた。200mくらいしか離れていない。こっちは数年前にコンクリートで新しい祠を作って石材や台座などを祀っている。地面にはレンガ列も見て取れ、ここもまたプレアンコール期の遺跡のマウンドの上であるのは明白である。名前は小さな蓮の花の丘という意味で、
これは村人のおじさんに教えてもらって助かったが、昔蓮の花を持った小さな女神像が出土したためとのことでヴィシュヌ教でラクシュミーだろうか?
どっちにしろただの村人のおじさんでも知ってるほど、近隣では有名で、参りに来た人もいた。

このChhukをスマホいじりだしてあっという間に老眼になった碑文脳のわたくしがCharlikと見間違えなければたぶん、あっという間にたどり着けていたと思うが、その分5.は見つけられなかっただろう。
Sduong Chey
7.Vat Sdoung Chey
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唯一ネアクターとなった蟻塚の祠に、石柱の残欠が一つのみ。

8.Kok Trapeang Srok Asram Trapeang Srokとも。
墓地になっており寺ではなくアシュラムで無人。一応遺跡の祠堂の、入り口の石枠のみ残る。が、サンボ―プレイクック様式のリンテルがその石枠の両側に、二つに割れて置かれている。壁の一部と思しき砂岩の石材は高く2.5mくらいある。
行くところ行くところ今回CISARKも参照できず、予備知識なしだがプレアンコール期の遺跡に出くわしてばかりで驚く。地域的には当然ということだろうけど。


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Kompong Thom州に入る。
Pongro
9.Prasat Kuha Nokor0182 IK.147 再訪 KukではなくKuhaが正しい。意味が全く違う。Sambor Prei Kukも昔はKuhaと呼ばれていたとのこと。Kuhaなら偉大なとか大きなmahaに近いらしいが、Kukでは刑務所にしかならない。
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主祠堂前室から祠堂へ。両側の柱や破れた屋根から差し込む光と影のコントラストがなんとも厳かであるが、写真が残念である。ここは昔来たときも、雨の中、5時過ぎてお寺で読経が始まった時、南経蔵の壁に近づくと壁から読経が反響してこれまた厳かな気分になった思い出がある。
外人は入場料2ドルです。前回もそうだが遺跡の掃除や内部の植物の手入れなどされているようで、大事にされている遺跡であるのでそれくらいは払ってもよいと思う。
前回はご老人が坐像の神像のイラストのコピーをくれてスーリヤヴァルマン1世時代のもので、盗難されたので行方を知らないかと聞かれたりしたが…。
今回は、なんだかガイド氏と話していた9.の遺跡の管理人の一人が周りの遺跡を案内してくれる話になってた。いくつもあるのでこの近くの1,2か所くらいは行きたいと思っていたが。
Chrolong
10.Tuol Preah Theat この近辺では一番離れているのでもう少し近場の遺跡をいくつか行きたかったのだがまあ行った甲斐はあった。遺跡地図ではこの名前で載ってるがCISARKには消えてるのか見当たらず、位置の説明からするとKuk Baraeng Chasと登録されている遺跡に当たりそうだがどうなのか?案内してくれた人は、地図通りTuol Preah Theatと呼んでいた。

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東側の参道だったところも含め墓地と化している。建設途中で放棄された荒れた感じの仏堂の後ろに、ここも祠堂入り口の石枠が残り、レンガが散乱している。ここも大き目の祠堂だったのか、8と同じく壁らしき石材が8と同じ位、2.5mほどある。
ということであとは時代を推測させるのはレンガの大きさくらいだが、ここもまた8と同じくプレアンコール前期の遺跡であろう。
Pongroに戻る。
11.Vat Srah Sambour
Prasat Khnar(Toch=小と言ってたので大=Thomもあるのか?)とかTuol Po Nipeanといった遺跡の方角を教えてくれるが行く時間はないというので帰りにまあ近いここへ寄ってもらう。とはいえここも位置は推定通りの場所だった。
寺、とあるがここも荒れた仏堂が放置されていて南側に吹きさらしのお堂ができていておばちゃんたちの憩いの場になっていたが。
遺跡の前は広く東には画像のように、きちんとラテライトで縁取られた池があり、これが名前の由来だろう。その東にも二つ池があったようだが。遺跡でもあるが生活の場でもあったということだろう。
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遺跡自体はその荒れた仏堂の下だったようでレンガの散乱とラテライトの基壇の石材、そしてこの池のラテライトの囲いが見れる。
またChrolongに北上。
12.Vat Chrolong
案内してくれた人を9まで送り、次来たらまた案内してくれると言われるが、12年ぶりに来たわたくしが次来るのはいつになるやら。別れて北上。
この寺にも石が残っているとのことだったが、
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このシンハ、獅子しか見つけられなかった。鬣(たてがみ)から見てアンコール期だが破損していていつの様式とまで言い難い。
Kreul
13.Vat KreulIK184.04
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ここも遺跡地図に載ってはいるが、何も見つけ出せなかった。ただ周りにまだ遺跡はあるようである。

4月30日
Kompong Thom
本来なら今日からサンボ―プレイクックの予定だったが、昨日のやり残しでまた6号線を南下していく。

Phnom Santuk
1.Phnom Srah Khcau
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ここはPhnom Santukの東の山だがSPK様式と10世紀のリンテルがあり、ここでもまたSPK様式の寺院をラージェンドラヴァルマン2世王が手入れしているという奇縁。さらに東参道にはリンガ様の両側の石柱、結界なのだろうが、それが短い距離だが並んでいたようで倒れている。

Baray
まで下り周辺の遺跡を巡る。
1.Tuol Vat Angkor Tung Knong
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田んぼの中にぽつんと島のようにある仏堂。ここはグーグルマップにも載っている。
北東角に石材など集められている。

2.Vat Tuol
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石材ひとつとラテライトひとつくらいしかみつけられず。

3.Vat Prasat
石が少々と、台座が二つあったが境内の露店のクーラーボックスの置台になっていたのは哀れを誘う。
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4.Vat Chatluk
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この石材のみ。また群がってきた小学生の男の子からもらった木の芽と花を乗せてるがなんなのかはわからない。男から花もらうのは人生初かもしれぬ。

5.Vat Banak
ここは何も見つけられなかった。遺跡地図には載っている。

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6.Vat Baray
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ここもまたサンボープレイクック様式のリンテルの残欠、それと10世紀の石材が混在していた。

7.Tuol Ta Pich
遺跡地図に載っているが、グーグルマップで地元の人が登録していて、行ってみた。墓地になりつつあり遺跡が破壊されるのが心配である。東西の参道と環濠を持つ遺跡でアンコール期であるが、基礎部分と、祠堂入り口の石枠が残るが、レンガや石材は結構多い。なによりリンテルが完全なのが一基、不完全ながら彫刻がはっきりしているのが一基残っている。時代は10世紀後半のものであろう。
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また東に大小の池があり、それと環濠北西角あたりで陶片を見出した。このあたりからまた風が強まり曇りだし、雷鳴が聞こえだす。

8.Tuol Yeay Serei ここも7.の人が登録したようだが遺跡地図、あまり役に立たないがCISARKのデータにもないのか消えたのか見当たらない。

雷鳴の中畑を横切るが、その畑の中に多数の陶片が落ちており、じっくり見たいが雷が近づいてくる。
西の畑で作業していたおばちゃん二人が逃げていく。

遺跡は環濠、そしてラテライトの外周壁を持ちこちらは東のみの参道で、参道に回り込んではいる。建造物は何も残っていないが、経蔵南北に3祠堂の5基があったようだ。
主祠堂の上に小屋が建っていてここもなんかのカルトか?
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落ちているいくつもの石材の装飾は10世紀でも後半の、バンテアイスレイ様式からクレアン様式で、素朴ながらもとても美しい。風が強く涼しいのはよいが、少し雨がぱらつき、雷鳴が東から頭上に移動してきて遺跡内の低い木の下に潜り込みながら見て回る。雷鳴は天上を覆うが雷光は東から南へと移動していった。一安心だが我ながら愚かで危ないとしか言えない。

が、雷が遠ざかったのなら畑で陶片を見れる。宋の、薄手で、やや青みがかった釉薬だまりが美しく、時代を経てるとは思えない上質の白磁陶片、合子の蓋の一部、遺跡同様10世紀以降の、まだ黒釉ではないアンコール期の陶片や土器片など多数で、陶片が高級品揃いでそれなりに高位の人がここで生活していたのか?碑文で出てくるような僕奴は土器や、木の器や葉を使っていただろう。

Chong Duong
9.Vat Po Pech (Thmei )or Vat Kdei Thlok
同名の、Po Pech Chas(古い方)というお寺の北である。ここもサンボ―プレイクック様式の小さなリンテルが、10~11世紀のナーガの屋根飾りとともに飾られている。
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それだけでなく本堂の下、西側のスペースに台座や石柱の残欠、もしかしたらトルソーのような太い石
が保管されていた。

再び帰りにSantuk
10.Phnom Sruoch
平成最後の日の平成最後の遺跡はPhnom Santukの西の山の遺跡で、まんなかのPhnom Santukは飛ばして東西両側を上ることで終わりとした。


集められた石材くらいしかまともに撮れてないが。
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夕暮れで写真がピンボケしまくっていて情けない。

Phnom Sruoch,Phnom Santuk,Phnom Srah Kchauと、東西に並んでいる山、しかも真ん中が一番高い。じれを三位一体に見立てるなら、この山々がサンボ―プレイクックのリンガパルヴァッタなのか、それとも下田論文に書いてあるのに気づかなかったが、昨年訪れたPhnom Bariengがそうなのか、どっちかなのだろうか。trimurtiとしてはPhnom Santukのほうが整合性がありそうに思えるが。

その肝心のPhnom Santukにその時代の遺物が見当たらないのがネックである。