2017年雨季の始まりの旅 1/3
無事帰国しましたので淡々と今回訪れた遺跡の概観を述べていきます。
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Choam Ksant
Choam Ksant
①Prasat Kraham nau Otdor Meanchey,ではなくPreah Vihear州
2011年10月に記事を書きましたが今回場所の同定に再訪。トラペアンプラサートで聞いてみんな知ってたのでOtdor Meanchey州かと思ってたらもうPreah Vihear州に越えてましたね。
ここでした
軍の駐屯地の中で道路も整備されてアクセスは改善していました。
2011年10月に記事を書きましたが今回場所の同定に再訪。トラペアンプラサートで聞いてみんな知ってたのでOtdor Meanchey州かと思ってたらもうPreah Vihear州に越えてましたね。
ここでした
軍の駐屯地の中で道路も整備されてアクセスは改善していました。
②Prasat Aur Krauch(Prasat Kroch)
遺跡地図には載ってるし、昔はCISARKさんでも見られた気がするが、今はデータが消えたのかわたくしの勘違いか見当たらない。グーグルマップの通りにルートを取ってはいけないと再認識。
遺跡地図には載ってるし、昔はCISARKさんでも見られた気がするが、今はデータが消えたのかわたくしの勘違いか見当たらない。グーグルマップの通りにルートを取ってはいけないと再認識。
※あとでGuide Archeologique du CambodgeⅤ見ると、2005年に発見されて地図には載せただけとか。
碑文2つ未解読の模様。
Prasat Dom Chroamを探して
のごとく迷走しましたが、それもこれもGuide Archeologique du CambodgeⅤの439p
の地図が微妙に間違っているからです(断言)。
これを参考にカーブの北のほうを目指したわけですが、日本で事前にマップで正解を当たりつけていたので自分を信じとくべきでしたわ。
のごとく迷走しましたが、それもこれもGuide Archeologique du CambodgeⅤの439p
の地図が微妙に間違っているからです(断言)。
これを参考にカーブの北のほうを目指したわけですが、日本で事前にマップで正解を当たりつけていたので自分を信じとくべきでしたわ。
たぶん
この南北に長い池、これも石で囲ってあり西側中央には
このように石段となるような石が配置してありましたが、結局
Trapeang AnuonならぬUnknownのままでした。
ここも前記書やCISARKさんには道から2㎞西と書いてますがどう考えても離れすぎですそれでは。
むろん連中が調査したときもGPSがあらぶっていたようでしょうがないのかもしれませんが。
追記:2018年2月、なんかあるか?と書いたほうが正解であると確認。ご先達にもご教示いただきスムーズにたどり着けた。
この南北に長い池、これも石で囲ってあり西側中央には
このように石段となるような石が配置してありましたが、結局
Trapeang AnuonならぬUnknownのままでした。
ここも前記書やCISARKさんには道から2㎞西と書いてますがどう考えても離れすぎですそれでは。
むろん連中が調査したときもGPSがあらぶっていたようでしょうがないのかもしれませんが。
追記:2018年2月、なんかあるか?と書いたほうが正解であると確認。ご先達にもご教示いただきスムーズにたどり着けた。
②Prasat Trapeang Thnal Chhuk IK305 再訪
道から離れてないように見えるがフラフラのせいかとても長く歩いた気がして遺跡でへたり込む。
前記事にも書いた中央祠堂の、たぶんアイラバータさんの無残な姿。
道から離れてないように見えるがフラフラのせいかとても長く歩いた気がして遺跡でへたり込む。
前記事にも書いた中央祠堂の、たぶんアイラバータさんの無残な姿。
バイタクも2月に一緒だったあんちゃんは途中で待ってたがもう一人は道までさっさと引き上げて帰りは
余計フラフラして20分以上歩いた。
余計フラフラして20分以上歩いた。
却って遠そうに感じるが町から近い。寺についたら在家の親切な方が水を下さった。ありがたいことです。
どうやって入れたのか一基のみの祠堂の中にジャヤヴァルマン7世像が。
どうやって入れたのか一基のみの祠堂の中にジャヤヴァルマン7世像が。
数は少ないですが調べ調べ書いてたら時間食いまくりますので小分けします。
明日はもっと重要なことを記したいと思います。
明日はもっと重要なことを記したいと思います。
CISARKさんの間違いに翻弄されまくりですわ。