アンコール期11世紀
前回から間があきましたが このPrasat Kon Chenについて細かく見て行きましょう。 とはいっても、前回示した通り、この施設が本院であると考えられるPrasat Phnom Sandakの前衛施設であることから、非常に定型的であることを確認するだけになるかと思います…
前回Planを示しましたがこのような建造物はそこそこの寺院に前衛施設として建てられています。 前Prasat Char Chirenでも述べましたが本寺院に祭祀で入る前の、着替えもしくは儀式の場だといわれています。 となるとこの遺跡も、周囲にほかに大寺院がない以…
前回の遺跡Prasat Cha Chirenを紹介した後、はてどうするかと。 かなり悩みまくりましたが、やはり今回のPhnom Sandak groupと、謎(でもないけど)の王道について、およびそこそこの規模の、地方寺院に時として付随している施設の将来の考察のためにPrasat …
とりあえず続きを。 寺院内部に入ってみますがやぶの中ですねぇ相変わらず。 東と南北に門があって 東左右に経蔵、中央に3連の祠堂という構造のようですが南側中央から回り込んで 中央の祠堂しか確認ができません。 祠堂から東向いてみると こんな感じです。…
今週ちまちまと下書きしてたので上げときますが昨日あげときゃよかった。 今週末からカンボジアだがどうなることやら。 パソコンがイマイチいうことを聞いてくれず資料ができない。 こんなことしてる場合じゃないがテンション上げるために久々に記事でも書い…
遺跡についてはさらりと終わることにする。 前日にも日本人のカップルが車できたとのことでまあ意外と知られているのであろう。特に紛争以降は。 こんな感じでカンボジア側からは南東から上ってくることになる。 東向きの一基のみの、装飾のない砂岩の未完成…
2012年5月4日現在こんな感じでした。 カンボジアからはコンクリートの道が軍の基地まで続いておりそこから歩いて上がるとほどなく遺跡に到着。 昨年はタイから行ったのでカンボジアが去年のうちからこの遺跡にここまで基地を展開していたのかどうかは不明で…
続きます。 東側正面を見てみるとラテライトの前室があったことが分かります。 建物の基部もラテライトです。 北側側壁。しかし崩落した遺跡ばかり見てるからかこの程度の高さのものが多い様な気もしますね。 もしかしたら屋根は瓦で木造だったかもしれませ…
とりあえず検証がてらCISARKさんにも載ってないので遺跡について報告まとめときます。 2017年5月追記;位置についてはこの記事は全く的外れであることが再訪にて判明しました。 5月中に記事を投稿して位置を訂正いたします。」」 Trapeang Prasatで Trapeang…
日本の国難が起きて半年が過ぎました。 なんだかこんなことしてるどころではないなと。 まだまだ長いスパンでいろいろ考えなければならないですね。 実際ネタにつまっていたわけでもないですが。 実際仕事面で色々ありましたが、そのおかげでwまた来週から旅…
じりじりとにじり寄って遺跡に迫って参りましたが、本日は主祠堂の部分、と周壁および西門についてみてまいります。 やっと多少画像を圧縮するスキルを身に付けたので今日はどんどん貼っていきます。 これが主祠堂と考えられる建物の基部ですね。すっかり上…
昨日に引き続きまして、 Prasat Thanongについてみてまいりましょう。 昨日は東側の謎の回廊と、その囲む空間は沐浴池ではなかったかと妄想したところまででしたが(あとでおさらいします)、今日はそのさらに西、遺跡の中央部を見てまいります。 昨日の回廊…
えー。 ご紹介する遺跡があまりにもランダムすぎてどうしようって感じですが。 本日はイサーンの遺跡をご紹介いたします。 と言ってもやはり一回ではとてもじゃないですが紹介しきれません。 数回に分けてまいりたいと思います。 それだけの歴史的な意味が、…
昨日の続きである。 昨日消えてしまった記事に何を書いたかもう忘れたのである。 とりあえず寺の名前の由来となった仏足をちゃんと見せないといけないのである。 なぜ2足なのかがまたなぞなのである。 普通でっかい片足だけでおkなはずである。 本来別のも…
書いた記事が全部消えた. デジカメが高容量化している現代、もう少し画像の容量増やしてほしいものです。。。 てか一度画像上げたら途中では消せないとかどうなってるのか。 愚痴はともかくこうなったら2回に分けることにする。 リハビリ兼ねて小ネタのつも…
ちょっと間が開きましたが、続けてまいります。 今回は、この寺院に付随する貯水池TrapeangというよりTonnupというらしいですが 結構大きな貯水池を見渡して見ます。 こんな感じで若干北西に歩いて行きます。なんだか寺院と東西の中心軸がずれているように感…
ちょっと色々ありまして、また間が空きつつありますが、引き続きこの Prasat Sangkasについて見てまいりたいと思います。 前回行き詰まりつつ 書いてましたが、今回も記憶が不確かなのもあり、適当な展開で参ります。 今日は、遺跡内部にちらりと残っている…
引き続き近くの遺跡について紹介しますが、ここって以前記事書きましたPrasat Pram http://blogs.yahoo.co.jp/vyadhapuresvara/7365135.html から1.2kmしか離れてないんですね。 しかも600m北にもKok Tiemって遺跡があったようです。ハイ見逃しまし…
http://www.newsclip.be/news/2008715_019707.html なんか転用ばかりのあやしげなブログに成り下がってますが、 三連休には久々にまともな?記事をアップする予定です。 実際もうちょっと西バライ周辺の遺跡に触れたいですが、それは9月の旅で調査して分かる…
えー。 土日臥せっておりました。 何事もなかったように続きを参ります。 本日は、バンテアイスレイ様式、あるいはほぼ同時代のクレアン様式と考えられる、 Prasat Sralauの、現地に残っている装飾の残欠(同語反復っぽい)について 見ていきます。 とはいっ…
えー。 昨日は書きかけのままでしたので、今日の分とまとめてアップします。 今日はいつものペースで参ります。 村人からバイクを借りたあと3ケツして遺跡に向かいました。 大体Prasat Char集落からはバイクで20分足らず。 まあ、チャリで行ったとしても1時…
えー。 この記事は昨日4月17日に、書きかけになってしまいました。中途半端ですが、やむをえず そのまま公開いたします。 みんな巫k(ryさん好きなんだなーと、妙な実感しつつ、あまりこういう言葉を書かないで ひっそりとやって行こうと思いつつ。。 だ…
昨日は画像トラブルで失礼しました。 本日はこの寺院の遺跡についてより深く見ていきたいと思います。 より深く? とりあえず 現在私が参照できる資料を見てみますと、 BEFEOvol.35, 1935 P487 にあるこの寺院のちょっとした記載では、別名Vat Thnonというこ…
すいません、やっと画像が見られるようになりました。私のミスでした。<(__)> えー。 もう少しあちこち行ってみたかったのですが、このAngkor Chumは、まだまだ未探訪の遺跡が 多く、さらにこの奥のSrei Snamというところにも碑文含めて 行ってみたい大事な…
えー。 だらだらとやってきましたこの、Kdei Ta Kom Thomですが 本日でとりあえずおしまいとします。 が! 周囲には見そびれた橋や、遺跡がまだちょぼちょぼとありますので、 ひょっとしたら今秋の旅でまた探訪するかもしれません。 まだまだなぞが多く、検…
大体のところは紹介し終わりましたが、本日もKdei Ta Kom Thom です。 その前にお詫びを。 昨日南経蔵として載せました写真は北経蔵の別角度からの写真であることが判明しました。 お詫びして、本日は真・北経蔵を最初に。。 追記 てヲイ 南経蔵のまちがいで…
本日もKdei Ta Kom Thomについて、写真中心で眺めて参りたく思います。 やっと中央部の東楼門にとりついたところでしたので、 本日はこれと、中央部について眺めてみたいと思います。 では東楼門の内部など。 ここの右側の石壁に碑文K.246がありました。それ…
2日間でこの遺跡の外周を廻ってきましたが、 本日はやっと東門、正面に戻りまして やっと中央部の楼門までたどり着こうと思います。 この寺院は3月21日のPlanでごらんのとおり、外周に遺跡があってその中に環濠があります。 ちょっとこのことを留意しつ…
本日も写真中心で 昨日に引き続き この、まあまあ大きな寺院を眺めていきたいと思います。 明日暇があれば、また現物は見当たりませんでしたが、 長めの碑文の解読などいたしたいと思います。 そこで先日の遺跡と関係があるのかないのかが見当がつけばと思い…
はいすいませんでした。 今日からしばらくは写真主体で行きます。 今日の遺跡はKdei Ta Kom地元ではPrasat Kol(Thom) Angkor Chumの中心地区Char Chhukでは写真入りの案内板表示があって 観光に力入れたいなあという地区の気持ちが伝わる。 ここの寺院 昨日…