カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Kon Chen ~ Prasat Phnom Sandak 02

前回Planを示しましたがこのような建造物はそこそこの寺院に前衛施設として建てられています。

前Prasat Char Chirenでも述べましたが本寺院に祭祀で入る前の、着替えもしくは儀式の場だといわれています。
となるとこの遺跡も、周囲にほかに大寺院がない以上、Prasat Phnom Sandakの前衛施設として考えられます。
しかしほかの類例と違っていろいろと悩ましいことがたくさんあります。
ひとつにはこの遺跡とPrasat Phnom Sandakとの距離が2kmくらいあること。
これは他にあまりありません。Prasat Ta Muaen ThomとPrasat Chanくらいでしょうか結構距離があるのは。それでも1kmちょっと。Prasat Neak Buos SEと本院でも500m弱です。Prasat Preah Theat Toek Chhaも2,300m Prasat Phnom Thomも山のふもとと頂上という程度。建造物の形式が違いますがPhnom Cisorとふもとの門、Vat Phuまで話を広げると収拾がつかなくなりますが。ほかの遺跡Prasat Phanom RungとかPhimaiは併設と言っていい距離です。

なんかこういう論文を早稲田が研究してたように覚えてたんですが十字型の前衛施設についてのものしか見当たりませんでした。どこかでだれかがやってそうなもんですけど。
今日はCISARKさんからぱくりまくったそれらの寺院の前衛施設のPlanを並べて終わりになると思います。
えw
まいいや。再掲Prasat Kon Chen
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Prasat Neak Buos SE
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Prasat Phnom Thom 全体しかないなあ。
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Prasat Preah Theat Toek Chha Toch
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Prasat Chan( Pr. Ta Muaen Thom)ちと形が変わるけど。
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タイの遺跡はCSARKさんにはPlanないので本から転用しようと思ったが
本が見当たらない。。
Prasat Kao Phanom Rungは写真で。
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2014.2.24追記
すっかり忘れてた。
Prasat Khnar ,Preah Vihear
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こんな感じでアンコール遺跡以外の地方のそこそこの寺院に、10-11世紀の、ともう言っていいでしょうねー建造されたものばかりです。
これらの施設の建造はもしかしたら単一の支配者の強力な意向が反映している可能性も考えられるかもしれませんし、もしかしたら時代を問わずの、単なるお約束でしかないかもしれません。
ただ前者的に考えられそうな傍証も前回実は見ていたような気もします。

すなわちここと今のところPrasat Neak Buosでしか確認できてませんが、
施設の外側とはいえ敷地内に、レンガの建造物と思しき遺構が残っているということです。
レンガの部分がそもそもこの施設の一部であったのかどうか?
もしかしたら、もともとレンガの寺院なりがあったからこそその上にこういう施設を建築した
という妄想も捨てきれません。
そのことがこのPhnom SandakのPrasat Kon Chenの距離感の説明になるのではという気もします。
全ては空想の産物でしかありませんが。

それにしてもPrasat Char Chirenで私が前衛施設と断定した根拠であるところの、これらの建造物に共通項である、北側が完全に閉じた構造である(Phanom Rungは出入り口があったけどw)ということも見て取れるのではないでしょうか。
非常にいろいろな示唆に富んでいると思いますが考察するほど妄想が熟しておりません。


次回からまたこの遺跡の様子を見てみましょう。
今日は妄想でおわっちまいましたねw