FC2をメインとします。
やはりはてな移行時にカテゴリなどめちゃくちゃになっており、ここはいまいち使えません。
のでFC2を遺憾ながらwメインとして今後活動しようと思います。
FC2からまたどこかへ流転するかもしれませんが。
一応
URLリンク置いておきます。が、仮店舗という名のままにしておきます。
今一はてなの使い方が把握できてませんが。
ヤフーブログでお世話になってたアンコールの誘惑さんのブログ見てたら、ケンブリッジ大学がKulen山中のMahendraparvatta,すなわちJayavarman2世のアンコール王朝揺籃の王都を特定した、という記事を見つけましてあわてて調べてみましたところ、Liderを駆使してKulen山の、ジャングルを除去したCG処理での正確な地形図を用いて、中心となるBanteay(砦)、そして縦横に、まるで平安京のごとく、とすら言える格子状の道まで描図されてますね。
現地に行かなくてもこういう解析であちこちで遺跡が見つけられてるとかで、驚きですねえ。
それにしてもこの画像リンク先の、台座の巨大さには驚きますね。
来年探しに行ってみようと思います。
それとシドニー大学の先生が今日シェムリアプのEFEOでアンコールの周辺の?遺跡に散乱している陶磁について考察する講演されてるみたいで
David Brotherson (université de Sydney) donne une conférence "Commerce, capitale et communauté : céramiques d'importation, schémas de peuplement et continuité à la fin d'Angkor".
— EFEO (@EFEO_Paris) October 29, 2019
📅 mardi 29 octobre à 17h30
📌 centre EFEO de Siem Reap
👉 https://t.co/xjKbcxleE8 pic.twitter.com/zjixY0z9G0
概要のレジュメくらいはEFEOに残ってたら来年見に行けるかなあと思いますがどうなんでしょうね。
最近ツイッターとかでネタが流れてくるのを拾ってる感じですがマヘンドラパルヴァッタの特定には驚きました。
ここ10年以上Kulen山中には入ってませんがまたバイタクの適当な連中に頼むのも面倒ですが、今やグーグルマップでほぼすべての山中遺跡の場所は特定されているので迷ったり別の遺跡連れて行かれてここだと胡麻化されることは少ないと思いたいです。
というかはてな カテゴリーなど移転によってめちゃくちゃになっております。
今一つ使いにくい感じもします。
こうなるとFC2いろいろと問題ですが、あちらの方が記事の移行という点ではスムーズでしたのであっちに戻ることも検討せざるを得ません。
となると3月以降のわずかばかりの記事も手動で移行させないといけませんが。
どうしたものか。
引っ越してから放置してますが
ヤフーブログからデータ移行してから、ブログを全く弄っておりませんが、
なにもしてないからでまずいですね。
保守代わりに。
ツイッターを眺めていたら。
ちょうど140年前、1879年10月16日にエミール・グセル氏がアンコールワットの写真を初めて撮影した記念の日だったらしいです。
📸 #CeJourLa le 16 octobre 1879, il y a 140 ans, disparaissait Émile Gsell, célèbre photographe ayant été le premier à prendre des clichés du temple d'Angkor ! 😉 #Histoire pic.twitter.com/jojqa87DDK
— Musée Guimet (MNAAG) (@MuseeGuimet) October 16, 2019
うーんやっぱりアメブロでちゃらちゃらやっといたほうが楽だったかなあw
まあ扱い方に慣れることがあるかわかりませんが、旅行の時だけでも記事を上げて行きますわ。
さらばヤフーブログ
まず便利そうなlivedoorにも惹かれましたが、運営母体が私的には嫌いなLINEなので勘弁してほしいです。
Amebaは悪くはないとは思いますが、浮きまくるでしょう。まあ沈殿して人目にもつかないでしょうけど。
ヤフーがブログという形態自体を捨てるということは、ブログという形そのものが
消えゆく文化となるのかもしれないですね。
現在の計画
今日復旧後どこか知らないけどさらに10か所消えて1842か所。。。
これには愕然としました。
しかし、CISARKのデータが消えたということで憂慮しているのは日本のご先達と、わたくしたちのみのようで、グーグルで検索しても引っかかりません。検索が狭いだけかもしれませんが。
とりあえずDokuwikiのオフラインでの編集をしようとしまいた。
ある程度は非公開で作ってから、サーバを借りて公開、運用するべきかと思いました。
とはいえ、めちゃくちゃ癖があって扱いづらいところがありますが(編集中勝手にログアウトして記事が消えるのでワードで作成してまんま貼り付ける作戦に変更)、データはともかく、リストだけでも残しておけば、いずれ誰かに後を託すことも可能でしょう。問題はFC2がつぶれないかどうかwですが。
このブログでも再三お世話になりっぱなしのご先達、KI様ご作成のKhmer monumentsというエクセルファイルがございます。ラオスとタイのもあったんですがわたくしもHDが何台も壊れ唯一カンボジア分だけ仕事(兼職場での暇つぶし)用のノートパソコン、これも壊れてとり出したSSDに残っておりました。
位置がわかるもの、確認したもの優先ですが、
私家版のクメール遺跡wikiを作成することとしました。wikiにも基礎となる文献として明示し、謝意を述べさせていただきます。
今のところどこを検索しても表に出てこないので、このままひっそりと続けてまいります。
とりあえず中身はなくとも各州各地区ごとの遺跡の羅列。
一部CISARK未登録、ないしはCISARKの間違いもあるので修正。
ここまでは比較的簡単です。8000か所超とはいえ、中身がないので。
これはわたくしが把握している遺跡の場所は1000か所あるかどうか。。
グーグルマップで探しまわり、遺跡の痕跡があるなだまだしも田畑に破壊されて
(Phnom Penh Postにそんな記事が載ってましたが,しかし文中のDohKramonてラタナキリじゃなくてモンドルキリの山では…)全く分からなかったり、
IKやLCなども調べて書かざるを得ず、一生かかっても終わらないでしょう。
この位置情報はある程度でやめておきます。
まとめる。
とりあえず風呂敷だけ広げてたたまないのはいつも通りですが、wiki
形式で、行き詰ったら全公開してだれでも執筆してもらえるようにできるので、FC2が存続する限りわたくしがもし消えても残るのではないかと思います。
2019年雨季の筈の旅 6
5月3日
Thai
Sakeo
1.[Sdok Kak Thom]
1110 IK.880
画像は、カンボジアの制服着てた高校生の女の子二人組に、なんでここにいるのか驚いて聞いているガイド氏であるが、おっさんが話しかけてもセルフィに忙しくてあまり構ってもらえない、の図。
[Ou Ba Chaun]からバイクで国境越えて30分くらい、遊びに来たという。
学生は学生証のみあればバイクごと行き来できるらしい。カンボジア人ならみんな持ってる身分証明書で行けるらしい。
遺跡公園の南西の、資料館ぽいところにも行きたかったが時間がなく断念した。
ここはタイの遺跡網羅されてるKK様ブログで見たことがあるのでマップにラベルつけておいたので、寄った。
遺跡自体の構造ははっきりしないが、また菩提樹の周りに石材やリンテル残欠など。小さな仏像がたくさん乗せられていてあまり写真撮れず。
他にもスドクカクトム寺院への途中にいくつか遺跡があり、中には道から見えるもの(マウンドだけだが)もあったが時間がなく無念の通過。
タイに往来してみるのは、シェムリアプに向かう途中でぎりぎり思いついたのだった。
タイの遺跡も予習してなかったので(Mollerup氏の新著もまだ入手してない)遺跡の詳細も山の上のレンガ塔くらいの知識でやってきたが、まさかここでもサンボ―プレイクック様式のリンテルと10世紀のレンガ塔の組み合わせとは思っても見てなかった。
だが時間が押してきたのと、雷雨が来て頭の上で雷鳴がなり、光ってから音が来るまで1秒弱なので慌てて逃げだした。今回最大の危機だったかもしれない。山中の祠、祀られていた御坊様に感謝である。
Siem Reap州
Banteay Srei
1.[祠]
2016年に建てられた祠だが、
これらの台座や石材が、山頂から来たのか、山麓から来たのか、この山とKulen山の間のどこかから来たのかが謎である。人がほとんどおらず寺も暑さのせいか人が出てきておらず雰囲気的に聞きそびれた。
乾季ならほどよいハイキングコースか?
Prasat Bakong
3.[Prasat To]再訪だと思うが、
今回は東バライの水門にはいかなかった。10年以上前なので場所は特定できないが、行きたい人はここからBanteay Samreに行く途中で村の人に聞けばすぐわかると思う。
4.[Prasat Trapeang Chambak]0449 IK.548
CISARKさんの画像見ると当時はリンテルは未発見だったのか、画像がない。
1年前記事を書いたGajendra Mokshaの、ヴィシュヌ神のお導きか。
5.Prasat Run Vat Chey? Prasat Ta Chey 0450 IK.550
石板に星辰らしき穴が彫られているがどうなのか、こういうタイプはあまり見たことがないが。
後世のいたずらとかじゃなければ
博物館に収蔵してほしい。
Sutnikom
7.[Prasat Trapeang Chong,今はPrasat Banteay KchongたぶんCISARK消えた。IK.561
IKにプランが載ってるがIK3,pp244 fig 71、崩れているものの全ての建造物の配置は分かりやすく残っている。
東は13世紀なんだろうがこっちはどうなのか?
陶片や瓦片は多数。
今回のまとめとしては、CISARKさんが2月以降閲覧できなかったので今回は下調べもほとんどせず、2月の焼き直し以上の計画もなく、サンボ―プレイクック以外は適当に行ったんですけど、
何と言っても10世紀のラージェンドラヴァルマン2世王が、サンボ―プレイクック様式のというかその総本山含めて
レンガ寺院を、あちこちで再建、修復、再利用、増設、ついでに近くに自前の遺跡を建てることまでやってることを再確認するような感じでしたね。
まあある程度その訳もわかっちゃいるようですが、また今後のお話として、どこかに移動後考えてみたいと思います。
仕上げられませんでしたね。
FC2に同時投稿してもよかったんですが、画像が小さくなるのがどうも、ただでさえピンボケブレブレの写真ばかりなのにこれ以上小さくなってはわけがわからなくなるので、画像がまともなところに移行させようと考えてます。
ライブドアか、はてなかどっちかだと思いますが。アメバは場違い感が大きいので。
遺跡についてのお話はもうこのブログでは記しませんが、今後の方針のさらなる進捗状況は
あと数回書こうと思っております。
2019年雨季の筈の旅 5 番外 ポイペト~アランヤプラテート出入国
旅慣れた人には今更の常識であろうが、
あまり情報もないので、参考までにポイペトーアランヤプラテートの出入りの経過についてそれなりに書いておく。自分の備忘のためもある。なおグーグルマップも4,5年前のものも多く、投稿された写真も古いものは様相が一変しているので見てもわからない。そこは注意しておいた方がいい。
一切無視したほうがいい。特にカンボジア側。タイ側はあまり気づかなかった。
2月時点では、プノンペンではモニターにやたら目立つように「日本人限定 3年観光マルチビザ」の告示が繰り返し表示される。シェムリアプにはモニターなど表示は全くないが、言ったら取れたので、
最初にビザフォームを提出するときに申し出るとよい。
確かに3年間カンボジアに通い続ける人はわたくしのまわりには多くても、一般的には少数かもしれない。
それを使っての出入り実験も兼ねている。
結果からいうと、1リエルも1バーツもかかることなく、出入りできた。
なんでそんなにケチなのか、あとでわかった。
ただオフシーズンでこれなので、2月とかハイシーズンには1000人くらい並ぶこともあるらしい。
その時期は数時間ゆとり見といたほうがいい。
蛇行する列の間に荷物だけ置いて進み、次の列に上がった時回収する人が多い。
大したもの持ってなければいいかもしれない。
入国カードにどこに泊まるのかと聞かれ今日帰る、ハーチャウモンと英語混じりでかろうじて
言うとなんとか抜けられた。
カンボジア人のガイド氏も、彼はボーダーパスでもよかったのだが、同じく、わたくしよりはあっさりと抜けたようだった。階段降りたらさっきズルしてたばあさんが仲間の婆さんと階段脇に座り込んで駄弁っていた。
は、道の左側の屋根付きの歩道を歩いていく。ここら辺には物売りが結構座っている。
歩道を抜けると、エスカレーター止まっていて、2階じゃなく左から建物に入る。また入りずらい雰囲気のドアを開けてパスポートコントロールだが、夕方ということもあり空いていた。18時前くらいである。15-16時くらいまでは、バンコクからの電車やバスの到着時間でそれなりに混んでいるかもしれない。この時間ならシェムリアプまで行く人も少ないようだ。
②immigrationのパスポートコントロールへ。そこで出入国カードを貰って狭い記入カウンターで書いて通関だが、18時ということでか、ガラガラである。
ガラガラであるてことは金せびられたり、絡まれる心配があったが、特段そういうこともなく、せっかくマルチビザのところにカードはさんで広げたまま渡したのに、わたくしの過去のビザをいちいち用もないのに見て時間がかかるが、それもほんの数分で無事何事もなくカンボジアに戻れた。
つまりカンボジア、タイの往復で通関するのに特段費用など全く不要だった。