カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

クローラインュ~長い道

”・・・砥石に使う大きな石でできた小さな遺跡が五つあった。その石は何トンもありそうで、積み重ねてあり、木陰にひっそりと隠れていた。村人たちはここをプラサート・プラム〔五つの遺跡〕と呼んでいた。遺跡の尖塔は折れて下におちてしまっていた。 遺跡…

モンコルボレイの遺跡のあと

モンコルボレイはシソフォンから舗装も立派な国道五号線をバッタンボンへ南下する途中にある町であるが、本日ご紹介するプノムバンテアイネアンは、その南方5km位のところ、国道と鉄道の西側にある、高さ約40mほどの,やはり石灰岩で出来た丘で鍾乳洞が見…

バナンの聖水を求めて

今回はバッタンボンの南にある有名な遺跡、バナンの秘密の聖域、その名もプレア・トゥクについてご紹介します。。。 バナン、あるいはプノムバナンはバッタンボンの南約10kmにある、多分9世紀から寺院が建造され始めて以降、寺院の彫刻の様式と碑文の出土…

バッタンボンの遺跡プラサートスネンについて

昨日に引き続き、バッタンボンについて述べます。ていうか、今日が本編です。 バッタンボンには、その北にワットエク、北東にワットバサエット、南東にバナンと比較的大きな遺跡が3つ点在しているが、そのほかにもけっこう有名だったらしい、ワット(プラサ…

バッタンボンの遺跡についていくつか

今回は観光案内からはじめたい。 カンボジアの西の主要都市バッタンボンは、人口15万人とカンボジアでは第二の大きさを誇る、バッタンボン州の州都で、昔はもっと広かったがバンテアイミェンチェイ州とに分割された。昔から土が肥え、有史以来餓えることの…

続きK.215、K.216について

さて後半では碑文について考察を始める。 が、その前に写真3はワニの池、4はピンボケしまくりだが先述の洞窟である。手前の岩が龕である。 さて、帰国後なんとか引越し荷物の中からCoedes先生の本を引っ張り出して調べたところ、先の写真2の碑文はK.2…

プリアネットプリアの碑文について

本日は、10日に帰国したばかりでまだ整理もついてませんが、今回の旅で気になった碑文のひとつについて考察して行きます。 5月7日、バッタンボンからの帰りに、シェムリアプの西方、国道6号線沿いの、石の彫刻工芸でその名を知られるプレア・ネット・プレア…

(つづき)カンボジアの歴史なのにヴェトナムから始めるのはなぜかt(ry

(写真3)ここリンソン寺はバテ山の西ふもと斜面にあり、紀元前1世紀からの遺構である―しかし10世紀くらいまでの遺構が重層に重なっているという。露出しているのはやはり扶南期5,6世紀というところであろう。ここの遺構も見事だ。仕切られている間取り…

ブログはじめます。

みなさん初めまして。 このブログではカンボジアを中心としたインドシナ半島の歴史についていろいろな形から紹介していこうと思っております。 最初はHPをもう4年前から企図していたのですが、あまりにまとまりがないし膨大すぎるので、大雑把な私にはブログ…