カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

プリアネットプリアの碑文について

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本日は、10日に帰国したばかりでまだ整理もついてませんが、今回の旅で気になった碑文のひとつについて考察して行きます。

5月7日、バッタンボンからの帰りに、シェムリアプの西方、国道6号線沿いの、石の彫刻工芸でその名を知られるプレア・ネット・プレア=神様の聖なる目、つまりシヴァ神の第三の目のこと-に存在する山上の遺跡、プノム・プレアネットプレアを訪れた。

Aymonier,Eの記述によると東から石の柱廊がつながり、西端に塔が建っていただろうとのことで、写真1は遺跡を北西方向からみたもので、青いブリキの祠が建っている下が昔のレンガ造りの祠堂の跡である。ここもカンボジア西方の古い遺跡と同じく、固くシャープなレッドサンドストーンが多用されていて印象的である。地面にはところどころに柱、リンテルや破風の残欠も見られるが、けっこう草むらの中なので蚊にさされまくった。デングやマラリヤには気をつけたいが、防ぎようがない。
さらにいえば内戦時代の砲台がいくつか残されていて、不発弾や地雷の処理はしてあると思うが、保証はないかもしれない。一方で山上にはいくつかの僧坊も建っていてお坊さんたちが暮らしているのでそう危険ではないかもしれない。

話がそれたので戻すが、その青い祠の下にレンガの祠堂の入り口の石枠が残っていて、不自然に掘られていた。また盗掘かとおもっていたら、近くのアスラムから坊さんがくわえタバコでやってきて「ソー」という?
ガイドさんに聞いたら碑文が見つかったとのこと。見れば確かに門扉の南壁に碑文が見える。写真2である。

さて、この山中ではAymonierによると3つの碑文が出ているのだが、レンガ祠堂の右のドアにひとつと柱廊の壁の両側に南北一対と言う記述ではよく分からない。前者は西暦938(s'aka860(9と誤記))からの記載がみられ、後者は西暦1005年(s'aka927)の記述らしい。が写真のがどれにあたるか分からない。
何より今は真昼間で激暑で立ってるだけでくらくらする。

現地では位置の同定も、碑文そのものの解読スキルもないので、家に帰って調べることにしてこの山中にある名所めぐりをすることにした。またもや後半に続くが、今回は後半が長引きそうなので、観光案内を先にしますw

プレアネットプレア自体は「地球の歩き方」にも欄外にちょっと載ってるくらいで、シェムリアプからのアクセスも悪くない。村に着いて山の行き方を聞けば教えてくれるだろう。いけないとか言う人もいるかもしれないが、雨期でなければそう困難なく車でもバイタクでも中腹のコンクリのナーガの石段のところまではいけるだろう。

そこから10分くらい登れば最初に石柱やリンテルの残欠をちょっとくっつけたコンクリの建造物があり右手(北西方?)には、絶壁の石をくりぬいた、小さな沐浴槽と、仏足(プレアバット)があり、青い鉄の手すりと階段がある。しかし、その先すぱっとキレットになってる岩にはなぜか途中からのみ石段がほってあり、行けないしとてつもなく危ない。がその岩にはからみあう2匹の蛇がコンクリで作られている。これはバチモンである。しかし、後半で写真アプしますが、遺跡の東側にはワニをかたどった池もあり、これは古そうである。ワットプーの信仰となにかしら通じるものがあるのかもしれないと思われた。古いにせよそうでないにせよ。。

さて仏足石はあとまわしにしてずっと登っていくと標高84m、僧坊と森の中の山頂付近につくので、それから北東、つまり左の方へ少し降りていくと遺跡が見えるはずだ。分からなければ聞けばよいであろう。
遺跡以外でも天然の岩に柱を立てたあとなど見られる。古い物かどうかは分からないがさっきの仏足石とともにAymonierの記載にもあるので120年はたっているのであろう。

さらに遺跡の西方にコンクリで石段が作ってあり、岩のトンネルをくぐって降りていくと、これもAymonierの記載どおり、洞穴があり、その中には岩をくりぬき彫られたという8本手の神像が立てかけられているとのこと。しかし、洞穴は土でだいぶふさがっており、1反もめんほどの薄さの人で、大蛇やこうもりが恐くない人なら入れるだろうが無理は禁物である。数年前ここの坊さんがチャレンジしたらしいが、中に大蛇もいてむりだったとか、政府軍が盗掘防止にふさいだとか、色々言われた。ただ洞窟の入り口にも神像をほったちいさな石龕(がん)が横たわっていた。これが盗掘されてないだけでも感謝である。

では、後半にて碑文の内容にせまってみたい。

20080218
追記 このプリアネットrプリア地区は考古学的にも重要で、Phnom Chrapという近くの山の麓では
紀元前後の遺跡が見つかったらしい。が、今世紀に入ってすぐそれを知ったみなさんが住み込みで盗掘したので何も残ってないらしい(2007.09)。考古学局のほうでは2001年に学位論文書くため調べた人がいるようだが・・・。

参考文献 
1.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.供
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"
White Lotus,1999
2.G.Coedes "Inscriptions du Cambodge 掘EFEO,1951