カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

続きK.215、K.216について

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さて後半では碑文について考察を始める。
が、その前に写真3はワニの池、4はピンボケしまくりだが先述の洞窟である。手前の岩が龕である。

さて、帰国後なんとか引越し荷物の中からCoedes先生の本を引っ張り出して調べたところ、先の写真2の碑文はK.215、古いほうの碑文であるようだ。最初の二行が4節でサンスクリット、それ以下は古クメール語で18行まで書かれているが、先述したとおり、Aymonier,Coedesも書いてるがしょっぱなからシャカ860年のところを960年と間違って書いてるようだ。こちらも誤訳覚悟で訳出してみよう。

サンスクリット語部分1-2
Ten' Hyan'という名の者と彼の母方の叔父、その配偶者と徳の高い息子たち(Lon~ Pit Vrauの)はシャカ暦871年(西暦949年)全ての財産をシヴァ神に献じた。
クメール語部分3-18
シャカ暦860年(西暦938年) 'Vrai Tamvvan'(もとからの森、とも聖なる杖ともとれる 2014.4なんてこった読み直して気づいた、これってBat-tanbangバッタンボンの元の名じゃないのか?!!)のLon~ ApはLon~ Pit Vrauからasrama僧院を立てるために土地を買った。そして、8足の農夫(jen' sre)?(ここは土地の単位ではないかと言う説もあるようだ、私見では4人の僕と続くからその分の農地という説明がふさわしいと思われる)と4人のクニョム(=奴僕)をkamraten jagat(神) に献じた。
871年(949年)Vrai Tamvvan'のLon~ Apは死に僧院はさびれた。そのときTen' Hyan'はそれを憂い、彼の母方の叔父Lon~Madhyas'ivaというものと、Lon~ Pit Vrauの息子ら数名、そしてTen' Hyan'の配偶者Lon~ Paraに呼びかけた。(私たちは血を分けたものではないが)。。そのとき彼らは僧院を協力して再建することにした。彼らは高みに登るkamraten jagat(神)を招来するために村と田と僕を手に入れ、それから全てを神にささげた。すなわち8(jen' sre prampiy)足分の農地、4人の僕その名前はtai kanrauが1名,tai kandhan1名 ,tai kan-u1名,tai kandav1名そして一日2lih.(多分単位)、祝日には5lih.、新年には1かごが支給される。
設立者らはKamraten Vrah Jrai(聖なるイチジク?の木の神像)を彫らせて招来した。その神は我々の土地である、GajapuraのTamnvvam Chidin(急流)の設立の完成の尊い儀式(nirvapa)にふさわしいものであった。
San'khah地区は滞りなく寄進を行う。

とこんな感じであるが、意味不明なところも多い。それは私の訳出の下手さにもよるだろう。ローマ字は地名や人名、神名であるが上下に・や~ ’がついているのは余り再現できていない。
とりあえず練習がてらなので、これからまだ勉強が必要である。。

とりあえずこの内容を見て見ると、碑文はかなりローカルなものといっていいであろう。王名は出てこない。この遺跡は僧院として建てられたと考えて良いのであろう。多分。そして初代創設者が死んで11年で荒れ果てたということは、最初は木造だったのかもしれない。となると、岩の上に今でも見られる、木の柱のための基礎も最初の頃のものかもしれない。そうでないかもしれない。

レンガの祠堂に残るこのK.215碑文は半分土で埋もれてしまっているが、それだけに風雨に晒されずそれなりの保存状態であった。しかし、もう一対の1005年の碑文K.216は見つけることができなかった。どこかに収蔵されてたり、私が見落としていただけなら良いのであるが、内戦時代は砦と化していたようだし、その石材になったりどこかに売り払われてしまっているかもしれない。K.216については長いし、私の今のスキルではまだ無理であろう。
それにしても。
人の世は常ならないが、残せるものは残していきたいものである。
遺跡に対する思いを語ればきりがないが、私はこの遺跡は非常に印象に残った。
また訪れて見たい。
人があまり行かない遺跡に行ってそのマナのようなものに触れるのは心地よい場合もあるし陰惨な気分になる場合もある。遺跡を訪れて何かを得ているし、代償に何かを失っている気もするが、そんなものだろう。
・・・
ちなみにここを訪れたあとずっと旅の仲間だったランクルさんがけがされましたTT。
サスペンションが一本折れてしまいました。しかし今回の遺跡探訪最後の場所だったので、
そこまでがんばってくれてありがとうて感じでした。
今回もピースインツアーアンコールのみなさんに大変お世話になりました。
感謝です。