カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2007-01-01から1年間の記事一覧

Prasat Charとその碑文

今日はプラサート チャーについての紹介である。 この寺院も前回のKok Po同様Puokから行けるが、実はアンコールトムの北西1マイル半ほどの位置である。 時代は碑文の解読によって、西暦979年に建立されたとされている。 このチャーという名はまさしく、こ…

続き Prasat Kok Po の碑文

サボりがちで面目ないが、今日こそは前回の続き、Prasat Kok Poの碑文の訳出をしていこうと思う。 この寺院の西塔から2文、東塔左壁から1文の碑文が出ている。 いずれも保存状態が悪いので Aymonierによって大体要約されているが、Coedes先生はInscription…

Prasat Kok Poについて~西バライ周辺

本日はひきつづき西バライ周辺に点在する、碑文も出土して大体の時代背景が分かっていると思われる寺院のひとつ、Prasat Kok Poについて紹介したいと思う。前回の衛星写真をご照覧ください。 とはいうものの本来は古い順に、Prasat Prei Khmeng(7-8c?…

西バライの遺跡の碑文について

前回に引き続き、11世紀に造営された西バライ西方に点在するいくつかの遺跡について検討を続けて行こうと思うが、今日はAk Yom出土のうちの3つの碑文の翻訳を、無謀と無知と無遠慮で試みてみよう。底本はG.Coedesの”inscriptions du cambodge vol.后P57-…

西バライ周辺の遺跡のいくつか1(プレアンコール期)

この九月の旅で探訪した遺跡を紹介する前に小ネタで西バライ周囲の遺跡のいくつかについて触れておこうと思う。 といっても未見の遺跡も多いのでこそこそとやっていきたい。。 有名なのはAk Yomで西バライの南西岸にあり、この近くででた碑文K904(西暦71…

雨期の旅

本日カンボジアより帰国しました。 今回訪れた遺跡,遺構等歴史的なサイトは以下のとおりですが、全て紹介できるのはいつになることか。。。 大体の時代も追記した9/10 9月2日 Vat Sasaa Sdam(Sasaa Sdam):立派な柱=石柱の意10c Vat Kralanh(Kralanh) kre…

歴史関係

このブログの参考文献をじわじわと列挙していきたいと思います。2004年にHP作成を志していたときのリストを、こぴぺして追加。まだまだもれている。 20083・31うpでと まだまだ整理できてない。。。 底本とでもいうべきは、 1.Etienne Aymonier ”Le Ca…

アンロン・ヴェン 国境の南

本日は遺跡探訪もかねて訪れたアンロン・ヴェンについて紹介する。 (アンロン・ヴァェンといったほうがクメール語の発音に近いのかもしれない。) アンロン・ヴェンはオッドーミエンチェイ州の北方の町でシェムリアプの北北東約70kmくらいのところにあ…

トラペアンプラサート村のトラペアンプラサート

ブログ更新が途切れがちになってきたが、今回紹介させていただくのは、トラペアンプラサート(寺院のため池)村の、その名もトラペアンプラサート(:Trapeang Prasat)つまり、まあ素直に考えたらため池寺院というありがちな名前ながら印象的な寺院について…

Kralanhの遺跡少々

風邪や身内の入院などでちょっと間が空いてしまったが、何事もなかったかのように続けていきたいと思います。 本日は前回(いつの話だ)に引き続き、クローラインュ、あるいはクレーランュの遺跡について、訪れた2,3について言及したい。 出典はほぼ、こ…

クローラインュ~長い道

”・・・砥石に使う大きな石でできた小さな遺跡が五つあった。その石は何トンもありそうで、積み重ねてあり、木陰にひっそりと隠れていた。村人たちはここをプラサート・プラム〔五つの遺跡〕と呼んでいた。遺跡の尖塔は折れて下におちてしまっていた。 遺跡…

モンコルボレイの遺跡のあと

モンコルボレイはシソフォンから舗装も立派な国道五号線をバッタンボンへ南下する途中にある町であるが、本日ご紹介するプノムバンテアイネアンは、その南方5km位のところ、国道と鉄道の西側にある、高さ約40mほどの,やはり石灰岩で出来た丘で鍾乳洞が見…

バナンの聖水を求めて

今回はバッタンボンの南にある有名な遺跡、バナンの秘密の聖域、その名もプレア・トゥクについてご紹介します。。。 バナン、あるいはプノムバナンはバッタンボンの南約10kmにある、多分9世紀から寺院が建造され始めて以降、寺院の彫刻の様式と碑文の出土…

バッタンボンの遺跡プラサートスネンについて

昨日に引き続き、バッタンボンについて述べます。ていうか、今日が本編です。 バッタンボンには、その北にワットエク、北東にワットバサエット、南東にバナンと比較的大きな遺跡が3つ点在しているが、そのほかにもけっこう有名だったらしい、ワット(プラサ…

バッタンボンの遺跡についていくつか

今回は観光案内からはじめたい。 カンボジアの西の主要都市バッタンボンは、人口15万人とカンボジアでは第二の大きさを誇る、バッタンボン州の州都で、昔はもっと広かったがバンテアイミェンチェイ州とに分割された。昔から土が肥え、有史以来餓えることの…

続きK.215、K.216について

さて後半では碑文について考察を始める。 が、その前に写真3はワニの池、4はピンボケしまくりだが先述の洞窟である。手前の岩が龕である。 さて、帰国後なんとか引越し荷物の中からCoedes先生の本を引っ張り出して調べたところ、先の写真2の碑文はK.2…

プリアネットプリアの碑文について

本日は、10日に帰国したばかりでまだ整理もついてませんが、今回の旅で気になった碑文のひとつについて考察して行きます。 5月7日、バッタンボンからの帰りに、シェムリアプの西方、国道6号線沿いの、石の彫刻工芸でその名を知られるプレア・ネット・プレア…

(つづき)カンボジアの歴史なのにヴェトナムから始めるのはなぜかt(ry

(写真3)ここリンソン寺はバテ山の西ふもと斜面にあり、紀元前1世紀からの遺構である―しかし10世紀くらいまでの遺構が重層に重なっているという。露出しているのはやはり扶南期5,6世紀というところであろう。ここの遺構も見事だ。仕切られている間取り…

ブログはじめます。

みなさん初めまして。 このブログではカンボジアを中心としたインドシナ半島の歴史についていろいろな形から紹介していこうと思っております。 最初はHPをもう4年前から企図していたのですが、あまりにまとまりがないし膨大すぎるので、大雑把な私にはブログ…