カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

雨期の旅

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本日カンボジアより帰国しました。
今回訪れた遺跡,遺構等歴史的なサイトは以下のとおりですが、全て紹介できるのはいつになることか。。。
大体の時代も追記した9/10

9月2日
Vat Sasaa Sdam(Sasaa Sdam):立派な柱=石柱の意10c
Vat Kralanh(Kralanh) krelanhは植物の名10c
Phum prasat(Kralanh)11c?
Prasat Sangkaeh,trapeang(Tonnup) Sangkaeh(Kralanh)?10-11c

Trapeang Thma,Speang Trapeang Thma 石の池の意日本の援助でポルポト時代の貯水池が再生
Wat Trapeang Thma17c
Trapeang Srah Chik (Phnom Srok)10c
Wat Sovan Macha Satta Rame kandal(Phnom Srok)タイの影響を受けた名の寺という。もちろんモチーフはラーマヤーナからであろう。ラーヴァナの妹(Robam Sovan Machaという伝統舞踊でランカー島に侵入したハヌマンとやりあいます)、シーター姫、ラーマ
同名の寺が3つありここは中央,の意。10c

多分AymonierのいうPreah Srok の東のマウンド(Phnom Srok)10c-11c

王道とSpean Khmeng など橋いくつか。Aymonierの記載もあるが名が一致しているかは不明である。12-13c

9月3日
Wat prasat Saen Somrang(なぜかしっかり休めた寺の意)10c
Wat Phum Prasat(Vat Kralanhと判明) 11c
Angkor ChumのVat ???
Prasat Koul(Kdei Ta Keam) Koul集落の寺院あえていうならTouch(小さい)をつける。11c
Prasat Koul(Banteay Ta Keam)同上Thom(大きい)がつく場合もあろう。11c-13c

追記
今はTa Komと表記するようです。地元ではprasat~で売り出そうかと思ってる?

Spean khmengほか王道と橋をいくつか。追記 Spean Chang erと混同か?地元民と呼称が不一致。
9月4日
Banteay Srei group(Daun Da Dam Daek)11c
6号線上の橋3つほど。

Prasat Andaet(Kompong Thom)7c
コンポントム州文化局事務所
Phnom Santuk(真臘の山、リンガパルヴァッタは実はここではないか)7c-1474AD
Phum Prasat(Kompong Thom)7c
Kuh Nokor(Kompong Thom)11cそれ以前も おじいさんが手入れして美しい。ラテライト
結婚式に最適です^^。

9月5日 Kompong Cham
Banteay Prei Nokor group7c、16c
Preah Theat Thma Da9c-12c

9月6日 Kompong Cham
Han Chey group6c-7c
Nokor Banchey(Wat Nokor)12c-13c

Kuk Yeay Hom10c以前と13c(ここも王道ぞい)
9月7日 Phnom Penh
Wat Unalom12-13c

こうやって見ると我ながらなんだかよく分からないところばかり行っているようにみえるが、
今回は7世紀初頭からのプレアンコール時代、それも古い寺院の訪問と、
11世紀初頭Suryavarman1世の時代の寺院が中心となっている。

あと王道を6号線以外で実際に辿ることもできたのでこれは感慨深いものがあった。

追い追い紹介していくことにしたいが、実はまだ前回以前の旅のことも書き終わっていない。
ぼちぼち参ります。

今回の旅もシェムリアプのピースインツアーアンコールのスタッフの皆様にサポートしていただきました。
ありがとうございました。

写真はバンテアイ タキアム(Banteay Ta Keam) 現在名プラサートクオル(Prasat Kuol Thom)
の第一回廊西部南面の扉の碑文である。
他にも2基碑文の残された石扉が昔はあったらしいが見つけることができなかった。
多分
Vi 986 caka mvayと書いてあるらしい。エイモニエによると。
つまり西暦でいうと1064年1の・・・
というところか。このあともう一言書いてあるがこれはまた後日。
追記
その右のほうに
Ket と一言 満ちる月,つまり、上旬の、というところでとまっている。
多分続いて月暦 曜日とかが並んで碑文が続くはずだったのかもしれない。がナゾが多い。
この遺跡からは他の碑文もみつかっているのでいつかまた。