カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

西バライ周辺の遺跡のいくつか1(プレアンコール期)

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この九月の旅で探訪した遺跡を紹介する前に小ネタで西バライ周囲の遺跡のいくつかについて触れておこうと思う。
といっても未見の遺跡も多いのでこそこそとやっていきたい。。

有名なのはAk Yomで西バライの南西岸にあり、この近くででた碑文K904(西暦713年銘)によってジャヤヴァルマン1世の娘にして、真臘からアンコールにかけてたぶん唯一、女性にして王たる尊号ajna vrah kamratan anをもつジャヤデーヴィ(Jayadevi:西暦680年ごろから714年?)の、国の乱れへの嘆息が今に伝わっている。

この碑文と、この女王の名の出てくる別の碑文K259について、セデス先生も石澤先生も彼女がジャヤヴァルマン1世の妻か娘か?のなぞに翻弄されるのだが、それはおいといて。

ちょうどこのころ唐書では神龍年間:西暦711年ごろ、真臘が二つに分かれたと記載がある。ここらへんから真臘とよばれるプレアンコール期のクメールの歴史はなぞに包まれていく。

一つにはこの期間について、あまり碑文が見つかっていないこともあるが、それでも、そこまで国が荒れたというわけでもないことの証左として結構カンボジアや今のヴェトナム南部にかけて、あちこちプレアンコール期の遺跡が残っており、それなりにその時代時代の美術様式に統一感があることがあげられるであろう(Vickery、Mにもよる)。

それと真臘の分裂を記載した唐王朝自体が、このころはやっと周、つまり則天武の政治的混乱(しかし国は発展)から回復したばかりであることも鑑みなければならないと思われる。つまり真臘の情報に若干の時間的、精度的なギャップがあるかもしれないことを。

さらに言えば面白い偶然かもしれないが、この7世紀末のある時期に周、日本、真臘の地で、暫定的ながらほぼ同時に女帝(王)が君臨していたことも蛇足ながら興味深い。

このAk Yomはそこそこ有名だと思うので遺跡自体は簡単に紹介しておくにとどめる。
西バライの南面の土手に遺跡の北の部分は埋められてしまっているが、それでも山岳型寺院の様相を呈していた様子は分かり、土手から遺跡に降りていくと結構高さがある。南面にも砂岩の階段があり藪の中に続いているようだった。

寺院自体はすべて崩壊しているが、中央祠堂と思しき土手の脇の遺稿には巨大なヨニが安置されている。ラテライトの基壇とレンガの壁から往時をしのぶことができるであろう。そしてこの上に立っていただろうリンガは、どんなものだったのだろうと想像を掻き立てられる。この辺りが7世紀後半期当時の真臘といわれる国の中心だったのかもしれない。

たぶん西バライの中に沈んでしまった、この時期の遺跡もあるのかもしれないが、それとなく大事な遺跡を残すように西バライを設計したような意図も伺える。このことに意味があるのか、偶然かつ適当なものなのかは分からない。

大事なことが抜けていた。追記として
このAk Yomからは石扉の碑文がでていた。
中央祠堂南門(扉?)のシャカ暦626年(西暦704年)銘のK753
中央祠堂東扉のシャカ暦?39年(西暦717年?)銘K749
東南の建造物からシャカ暦923年(1001年)銘K752
さらに詳細不明だが中央祠堂から年号不明のK815.
これらから見て非常に重要なことがなんとなく想像されてくるのだが、それはプレアンコール期から
西バライが造営されるまでの期間けっこうこの寺院は重要な役割を果たしてきたのではないかということである。


もうひとつだけ遺跡を。
このプレアンコール期の美術様式をたどる上で重要な、指標遺跡になっているプラサート・プレイクーメンを、といいたいところであるが、この西バライの西側に位置する遺跡は写真のごとく、摩滅しつつある碑文と聖水を流す石樋とかいくつかの残欠しか残っていない。ここに残る碑文についても実際解読が必要であるのだが。写真3

今度の連休中にちょっと上記碑文の翻訳に挑戦してみよう。もちろんオリジナルからは無理ですので、セデス先生たちに頼ろうとおもう。

写真4はおまけであるが西バライ南西にやはり存在する遺跡Kas Hoの人為的破壊が見られる碑文のある石扉である。ここはアンコール期のものであろう。

これらとPrasat Phnom Rung(未見),Prasat Kok po,Prasat Char等周辺の遺跡を含めたこの一帯は
実はジャヤヴァルマン2世がPhnom Kulenに首都を定める前の都Amarendrapuraではなかっただろうか
といわれている。
未見の遺跡があるので考察はいずれしていきたいと思う。



参考文献
Michael Vickery“Society, Economics, and Politics in Pre-Angkor Cambodia, The 7th-8the Centuries”,Tokyo Shoseki、1999
George Coedes"Inscriptions du cambodge vol.-次EFEO