カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

バナンの聖水を求めて

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今回はバッタンボンの南にある有名な遺跡、バナンの秘密の聖域、その名もプレア・トゥクについてご紹介します。。。

バナン、あるいはプノムバナンはバッタンボンの南約10kmにある、多分9世紀から寺院が建造され始めて以降、寺院の彫刻の様式と碑文の出土状況からみて、ラージェンドラヴァルマン、スーリヤヴァルマン1世、ウダヤーディティヤヴァルマン、スーリヤヴァルマン2世(多分)、ジャヤヴァルマン7世、そしてジャヤヴァルマン8世?と13世紀末までずっと歴代の王たちによって増改築が繰り返されてきた。よって最初に400段以上の石段を登ってこの山上遺跡に向かう見学者はランダムに置かれた、さまざまな時代のスタイルをもったシンハ(獅子)像を見ることになる。写真1である。シンハが写ってないが細かいことは気にしてはいけない。

遺跡の祠堂も回廊を持つ十字型の寺院であるが、リンテルは10世紀、プレループ様式のものもあるが建物とそれに付随するデヴァダは明らかにバイヨンスタイルであり、石材を再利用して建てた物であることが分かる。こう言う再利用スタイルは例えばカンボジア西部のバンテアイチュマーに近い、バンテアイトープ等でも見られるが、顕著なのは固くて美しいレッドサンドストーンを随所に使用されていることであろう。今回バッタンボンやクレーラインの遺跡を見て回ったがこの美しいレッドサンドストーンが印象的であった。
ただやはり、ここも破壊と盗掘とで荒れている部分も多かった。

遺跡の案内は、けっこう訪れる人も多いみたいなので(地元の子供が日本語知っていたしw)、他のサイトを検索、ご参照いただけたらと思う。いまからご紹介するのはこのバナンの南山ろくにある自然の鍾乳洞のサンクチュアリー、プレアトゥク(聖なる水、神(仏)様の水)である。

その前に、興味を持って行って見ようと思われた方は最後に注意事項を書いておきますのでよくご理解ください。事故のないように。。

バナンの南山腹にスリット状に開く割れ目、それがプレアトゥックの入り口である。はいれるのかと思って入るとちょっと広いがすぐ這って進まなければならなくなる。が、地面は乾期で乾いている。しばらくするとちょっとしたドームに出てまたくぐり、そしてエイモニエの記述どおり、200人は住めるのではないかという大きなドームに出る。若干先の方が裂けていてフシギだが、日光が差し込むところもある。
鍾乳洞であるので、大きな鍾乳石が育っていたり、いまだ水を滴らせて少しずつ成長している石もある(写真2)。決して北九州の平尾台や沖縄の鍾乳洞で撮ったものではない。がこう書くとよけいうそっぽいか。
しかし、先日ご紹介した近くのプノムサンパウといい、いずれご紹介するとても古い歴史的サイトであるバンテアイネアンなど、カンボジア西部にはけっこう鍾乳洞が多い。他にも多分今も人知れず眠る先史以来の遺構もあるのではなかろうか。

さて話がそれたがこうやって成長し続ける鍾乳石が天上から滴らせる水、これが聖なる水のゆえんで、これを甕にためて置いてあったので頭に少しかけて清めさせてもらったが、もちろん先人たちは鍾乳石をリンガにみたてていたことであろう。
リンガがあるということは・・・

そう、伽藍とでもいうべきドームの中心には、大きさはそこそこであるがレッドサンドストーンのヨニが置いてあった。多分シヴァ神が建っていたことではあろう。

ここで私は狂喜した。
エイモニエの時代にもこのヨニについての記載はなかったが、
この台座の部分になんと2行、碑文が残っていたのだ!(写真3と4)

エイモニエの記述ではこの洞窟内にはブッダやさまざまな神像がかなり多く奉納されていたようだが、もちろん盗掘などできれいさっぱりなくなってしまっている。しかしこのヨニだけは破損はされているが、盗掘も激しい破壊もされず残っていてくれた。しかもきっちり北を向いており、まったく動かされていないか、動かされたとしても改めて信仰されていることが分かる。神というのか、なにものかに感謝せずにおられない。
しかし、もちろん私には何と書いてあるが解読することはできない。いつか挑戦して見たいと思うがずっと残っていて欲しいと願う。

激動の歴史と大自然の悠久の営みとに思いをいたしつつしばらく静かに浸りたいのであるが・・・

・・・何せ写真5のとおり地元の子供たちが案内だ。けんかしたり転んだり、歌ったり仲間を抜け駆けして一人で金くれというやつがいたり大騒ぎである。笑ったり仲裁したりはらはらしたりで忙しい。しかし色々こづかい目あてであるが親切でもある。まあにぎやかなのも悪くない。彼らに碑文のことは教えてもらったし。それにしてもタイ語中国語クメール語で歌っている(てきとーだが)。たいしたものだ。

なお、彼らの話では鍾乳洞の上の方に蓮の花を彫った(蓮花文?)ところがあるというが高さが20m以上あるしヘッドライトの光も吸い込まれて見えなかった。というか日本とおんなじでそういう風に見立てているだけかもしれない。

さてこのプレアトゥクであるが、バナン山頂から急降下で降りていく道もあるが大変だった。登山経験者でないと崖を降りることになるので、特に雨天時は滑りやすく危険だ。私は3点支持などで転ぶことはなかったが子供たちはこけてて一瞬死んだのではないかとまじでびびった。がぴんぴんしていたので安堵した。転ばなくても泥だらけになったのでこのあと遺跡見学を中断してホテルに戻って洗濯するはめになった。

ふもとの南側の貯水池(もちろん遺跡に付随する)のほうから行けば、まったく大丈夫だ。だから無理せず一旦バナンの見学を終えたら、階段を下りて、それからプレアトゥクを目指すのが賢明だ。雨のときは絶対に。ガイドのアセアンさんもこの崖の道は絶対お客さん案内しませんと決意していた。

それとここを目指す人は必ず光をもって行くべきである。懐中電灯かヘッドライトを持参しないと危ないし、行っても意味がない。真っ暗であるので。
この二つのことをよく念頭に置かれて、興味のある方は是非訪れて見てはいかがでしょう。感動します。

では次回はバッタンボンよりシソフォンに戻りつつ、モンコルボレイ近辺の遺跡のあと、これまた古い、、プノムバンテアイネアン(クレ・ネアン)つまり若いお姉さんの砦、あるいはおねえさんのベッド、という名前は萌えるw山などについてご紹介します。

参考文献
1.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.供
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"
White Lotus,1999