カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

バッタンボンの遺跡プラサートスネンについて

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昨日に引き続き、バッタンボンについて述べます。ていうか、今日が本編です。

バッタンボンには、その北にワットエク、北東にワットバサエット、南東にバナンと比較的大きな遺跡が3つ点在しているが、そのほかにもけっこう有名だったらしい、ワット(プラサート)スネンがある。今日はこのプラサートスネンについて述べたい。けっこう訪れる方もいるようであるが、ここで特筆すべきは、Aymonierが120年前に記したとおり、美しいイエローサンドストーンのリンテルが残されていることであろう。

写真1が東側に並ぶ、3つのレンガの塔。中央祠堂のリンテルが写真2、そして西に200m離れて砂岩の塔が一基、まず道沿いのこの祠堂と出会うことになるだろう。この祠堂の北面を除く3面にリンテルが残されており、いわゆるアンフィニッシュド(未完成)ながらとても美しい。写真3の、東面は有名な乳海攪拌の図、写真4、南面はマハーヴァーラタより、いかさまさいころばくちにあつくなり、やられてがっくりするパーンダヴァ5兄弟と、かれらをまんまとはめて喜ぶカウラヴァ一族に、負けてカウラヴァの奴隷となり、服をドゥッシャサーナに脱がされ辱められようとしているパーンダヴァ5兄弟共通の美しき妻ドラウパティである。なんてかわいそうな、と思うが、クリシュナがしっかり彼女を守りますのでご安心あれ。さらに、女性を怒らせたら怖い。このことを根に持ったドラウパティの怒りによって、例のクルクシェートラの大戦は起こるといってもいい。下の段のナラシンハがなんとなく、お手上げって感じのポーズをとっているところが面白い。

写真5、西面はアナンタではなくラージャシンハの上でへそからでてくるブラウマ神の誕生を瞑想するヴィシュヌ神で、リンテルの右が三歩で世界をまたぐヴィシュヌ神、左は私にも分からないがシヴァ神が踊っているのか?それでも、この3面のリンテルを見ると明白にこの祠堂はヴィシュヌ神を祀ったものである。時代の同定が難しいが11世紀くらいではなかろうか。タイのピマーイ初期と様式が似ているようにも思える。

しかし東側の3つのレンガ塔は中央祠堂のみに、建立当初から穴が空いていたようであるが、インドラ神を配したリンテルを見せるのみで、よく分からない。こちらは中央祠堂を見上げると、十字に木の支えが残っており感動するがこれら3基のレンガ祠堂のほうがやや古く10世紀後半位ではないかと思われる。ただリンテルを見る限り、バンテアイスレイからクレアン様式の印象も持つが。碑文がレンガ祠堂の門の石壁のどれかにあったらしいがAymonierの時代1884年には、すでに摩滅して判読不能だったとの由である。
セデス博士も断片的に解読してはいるが、訳出はしていない。いずれにせよ、プラサートスネンに来て、120年前のAymonierの感動をそのままに追体験できた事自体が僥倖であった。
ポルポト時代の破壊やUNTAC時代の盗掘などを乗り越えて、これらの寺院を大事にしてこられたスネン村の方々には勝手に感謝したい。

プラサートスネンへは、プノムサンパウからそこそこの車道を車で20分くらいである。Aymonierの記述どおりバナンの北西で、それとサンパウの間に位置するのであるが、イメージ的にはプノムサンパウを回りこんで向かう感じだ。いずれにせよプノムサンパウからスネン村をたずねて行けばすぐ分かるだろう。ここは激動の歴史にもかかわらずよく保存されたことを鑑みても、必見の遺跡である。

ネタもないのでもう少し、バッタンボンを引っ張って行こうと思います。また週末にでも。

参考文献
1.エイモニエ氏のはデフォルトで参照です。

2.Vittorio Roveta"Image of the Gods" River Books,2006(オトクなDVD付、この著者他の本でもだが、テキトーなところあり、例えば今日紹介した遺跡の写真もprasat snengとWat Suengと、多分別物と勘違いして二通り表記されてたりするけど、まあ彫刻のモチーフが分かって参考になって面白い本である。それは違うだろう、としか思えないものもあるが。インドの神話やクメールの遺跡好きなら持ってて損はない。なぜか日本円で12600円と消費税まで意識した笑える表示があるがもう少しやすく買えます。プノンペンで70$ー85$アマゾンでも見て見ると良いでしょう)

3.G.Coedes " Inscriptions du cambodge vol." p42,1964 EFEO