カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Kok Poについて~西バライ周辺

本日はひきつづき西バライ周辺に点在する、碑文も出土して大体の時代背景が分かっていると思われる寺院のひとつ、Prasat Kok Poについて紹介したいと思う。前回の衛星写真をご照覧ください。

とはいうものの本来は古い順に、Prasat Prei Khmeng(7-8c?、碑文はもっと下るものも)、Prasat Khnat(9世紀後半、10世紀中期)と進んでいかなければならないのかもしれない。ついでに西バライから出たJayadeviの碑文についても(8世紀前半)先に触れるべきところであるが順不同で面目ない。
いずれHP化するときに並べ替えようと思います。
イメージ 1

イメージ 3

写真はわずかに残る西側のレンガ塔で、この東側には崩壊した、たぶん同じような構造のレンガ塔の壁の一部が残されている。
日本での「アンコールワットとクメール美術の1000年展」の図録をお持ちの方は白黒写真が83pに載っているので参照されたい。
まぐさ石(Lintel)がフランスのGuimet東洋美術館に収蔵されていて、これが日本に来たのである。

このまぐさ石の様式はプレア・コー様式であるが,
私が現地で半ば土に埋没したリンテルを見たところ、これはひとつ前の世代プノム・クーレン様式のものにも類似している。まあ過渡期的であるといったらそれでおしまいだが。
イメージ 2

イメージ 4

クーレン山についてもいずれは紹介して検討する予定であるが、おいといて先に進もう。

追記そのリンテルの画像追加してみた。

この寺院に残されていた碑文は9世紀後半期(西暦869年か877年?)のもの(K256)と、西暦978年のもの(K255)である。

出土している碑文は、彼の息子で印象は薄いとされる象乗り名人王Jayavarman3世について触れられている。彼が碑文に出てくるのもめずらしい。

この碑文についてはAymonierが要約しているため、訳してみよう。参考文献1,2より。
とはいってももともとの彫りと字体の読みにくさから例によって解読は困難だったようである。このためかセデス先生はInscriptions du cambodgeには載せていない。
あとはのちほどw時間切れ。。。


追記2/22

ああBEFEO検索し放題になって見つけてしまった。。。

Henri Marchal
"Notes sur le d??gagement du Pr??s??t K??k P??"
Bulletin de l'Ecole fran??aise d'Extr??me-Orient, Ann??e 1937, Volume 37, Num??ro 1
p. 361 - 378

写真に驚きの連続である。古の威容ぞいまいずこ。。。

Georges Coed??s;Pierre Dupont
"Les inscriptions du Pr??s??t K??k P??"
Bulletin de l'Ecole fran??aise d'Extr??me-Orient, Ann??e 1937, Volume 37, Num??ro 1
p. 379 - 413

もうなんというか、だめすぎるので、いずれ全面改稿しようと思いますが碑文K256は4節もありめちゃくちゃ長いしK.814もある。
先は遠い。。。