続き Prasat Kok Po の碑文
サボりがちで面目ないが、今日こそは前回の続き、Prasat Kok Poの碑文の訳出をしていこうと思う。
この寺院の西塔から2文、東塔左壁から1文の碑文が出ている。
いずれも保存状態が悪いので
Aymonierによって大体要約されているが、Coedes先生はInscriptions du cambodgeには掲載していない。
いずれも保存状態が悪いので
Aymonierによって大体要約されているが、Coedes先生はInscriptions du cambodgeには掲載していない。
「Visnulokaに行った王(すなわちJayavarman3世)によって多くの国、土地とその民や品物がSri pundarikaksa Svetadvipa神(白い象の神? すなわちヴィシュヌ神)に、ささげられたこと、なかんずく、日々奉納されるべき米が毎月5日と20日には特に多く奉納されるよう、と記されているらしい。
最後の7行は字体が悪いらしいが、tai=僕奴?の名とその購われた値段が記されているとのことである。」
最後の7行は字体が悪いらしいが、tai=僕奴?の名とその購われた値段が記されているとのことである。」
どうもこの寺院は美術様式が先述どおり、クーレン様式とプレア・コー様式の過渡期的様相を呈していたのでこの碑文から見る限り、いわゆるアンコール王朝2代目の王Jatavarman3世によって建てられたか、その時代の寺院であるといえよう。かの王の碑文は少ない。
先に行こう。残りの2文はどうやらこれから1世紀ほどして残されたようである。
まずは同じ西塔左壁の碑文から。
まずは同じ西塔左壁の碑文から。
38行にわたる碑文のうち28行までがサンスkリットで書かれている。
22行目までは読めるらしい。
22行目までは読めるらしい。
「シャカ暦90X年Asadha(7月)の前半の10日目 Sri Campesvara神の寺院(たぶんこの時代保全が望まれるべき多くの部分が放置されていたであろう)に関わる貴人に、VKA Jayavarman(王1)によって(作られた報告の結果として)王命が下った。
3名の貴人、Kamraten An Rajakularaja, Kamraten An Vrahmanacarya,およびMraten Khlon Senapati・・・
は、さまざまな供出物のなかでも,寺院の僕奴への白米の提供について定められた6つのすばらしい方法についてのこの命令を書き記すことを勧める、Paramapavitra(至高の浄化=王)の尊厳なるお言葉を聴き賜った。」
3名の貴人、Kamraten An Rajakularaja, Kamraten An Vrahmanacarya,およびMraten Khlon Senapati・・・
は、さまざまな供出物のなかでも,寺院の僕奴への白米の提供について定められた6つのすばらしい方法についてのこの命令を書き記すことを勧める、Paramapavitra(至高の浄化=王)の尊厳なるお言葉を聴き賜った。」
この王は時代から言ってJayavarman5世であろうと推察される。この名を持つ歴代の王の中で
どちらかというと影が薄いと考えられがちな二人のJayavarman王の登場である。面白い寺院である。
どちらかというと影が薄いと考えられがちな二人のJayavarman王の登場である。面白い寺院である。
最後は東塔の碑文(K255)でこれは時代がはっきりしている。同じ王の碑文である。
26行からなるクメール語の碑文で、真ん中に罅が入っているのと、最後の6行がかすれて見えないが
Aymonierの要約に頼ってみよう。
26行からなるクメール語の碑文で、真ん中に罅が入っているのと、最後の6行がかすれて見えないが
Aymonierの要約に頼ってみよう。
”これはS'vetadvipa神(白い象の=ヴィシュヌ神 前出)に捧げられた僕奴の碑文である。
最初に3人のtaiと4人のsiの出自と値段が記されている。彼らはVap S'vivavrahmaがHemas'ringiri
(金の山:ピラミッドとあるが山岳型寺院であろう)とSri Jayendranagiri(これもインドラ神の勝利の山)という宮殿を建立したときに彼から購われた。
最初に3人のtaiと4人のsiの出自と値段が記されている。彼らはVap S'vivavrahmaがHemas'ringiri
(金の山:ピラミッドとあるが山岳型寺院であろう)とSri Jayendranagiri(これもインドラ神の勝利の山)という宮殿を建立したときに彼から購われた。
ここで我々の目を引くのは、彼ら僕奴の一人、si ThneがMekhala(豪華なベルト?)に対して譲られたことである。さらに二人のtaiも、前述のこれらの大事業の実行にともなってさまざまなVapから購われた。ほかのtaiは貴人たちによって寄付された。
シャカ暦900年(西暦978年)VKA Jayavarman(5世)王の支配下、 碑文の著者は一人称を用いて
S'vetadvipa神に奉じられた土地と僕奴について告げ、Sankrantapada僧院のために与えられるべき基金を確立した。彼はこれらの与えられるべき土地と彼に代わって寺院を護る僕奴たちとを与えた。
siとtaiとの名、支払われるべき会費を彼は記しているが、ここからは判読不能である・・・”
(参考文献1,2より)
S'vetadvipa神に奉じられた土地と僕奴について告げ、Sankrantapada僧院のために与えられるべき基金を確立した。彼はこれらの与えられるべき土地と彼に代わって寺院を護る僕奴たちとを与えた。
siとtaiとの名、支払われるべき会費を彼は記しているが、ここからは判読不能である・・・”
(参考文献1,2より)
訳が悪くて申し訳ないが、大体の意味は汲み取れるかと思われる。
すなわち、Jayavarman5世がどうやらこの寺院の再建に尽くしたらしいことが伺える。
しかも碑文を王の1人称で記させていたことは非常に興味深い。
すなわち、Jayavarman5世がどうやらこの寺院の再建に尽くしたらしいことが伺える。
しかも碑文を王の1人称で記させていたことは非常に興味深い。
それにしてもいつも私は僕奴という言葉をあえて使っているが、彼らが真の意味での奴隷というわけではないといわれているためである。
Aymonierが最後にまとめを書いているが、それによると、まずこの寺院はヴィシュヌロカに行った王というおくり名をもつJayavarman3世によって設立された。この寺院はSri Campesvaraあるいはクリシュナの名の下にヴィシュヌ神に捧げられたものであった。それから1世紀も後、シャカ暦900年(AD978年)Jayavarman5世が求められて、多分そのころ、Sankrantapadaと呼ばれていたこの寺院の神性に賛同したこの時代の信者たちに新しい基金を立てさせた。
というものである。
とりあえず訳中心となったが、この寺院が意外にも王の勅命で建立、保護されていたことがわかった。しかも、歴代の王でなく、Jayavarmanを名乗る二人の王によってである。3世と5世で4世はどうしたという方もおられようが、彼はKo Kerに都を構えたのでまあ関わりがなくても無理はない。
とりあえず訳中心となったが、この寺院が意外にも王の勅命で建立、保護されていたことがわかった。しかも、歴代の王でなく、Jayavarmanを名乗る二人の王によってである。3世と5世で4世はどうしたという方もおられようが、彼はKo Kerに都を構えたのでまあ関わりがなくても無理はない。
まあ偶然かもしれないが、それでもこの9世紀から10世紀にかけて、この寺院はそう打ち捨てて置けない信仰か権力か何かがあったということはいえよう。しかもアンコール王朝の歴史から見ると、目立たない王二人が足跡を残していることも興味深い。場所もyasodarapuraから離れているが、Amarendrapuraの近くである。マイナーな遺跡であるが重要である。
もっといろいろ想像をめぐらしたいところであるがこのくらいにしておこう。
もっといろいろ想像をめぐらしたいところであるがこのくらいにしておこう。
で写真は今回はないのか。。
参考までに追加しておきます。
参考までに追加しておきます。
これは南側から濠の向こうの寺院に迫っているところ。牛がいるのはいつものことだ。大体のプランが想像できる、のか?
これは二つの塔の間辺りに、レンガにうずもれる砂岩の石枠と門扉など。これのどれかにひょっとすると碑文が残っているのかもしれないと思うと胸が痛い。
これは辛うじて残る西塔の壁の偽扉の一部。やはりプレア・コー様式を思わせるが古そうだ。
アクセスはPoukから入っていけばよいだろう。次に紹介するPrasat Charも必見だ。まさに碑文の寺院という名だ。
ちなみにPuokの焼き鳥は激ウマである。
1.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.Ⅱ”
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"
White Lotus,Bangkok 1999
2.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.Ⅱ”Earnest Leroux,Paris 1901
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"
White Lotus,Bangkok 1999
2.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.Ⅱ”Earnest Leroux,Paris 1901