カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2019年雨季の筈の旅 6

平成最後にして令和初めての旅の最後。
5月3日
Thai
Sakeo
1.[Sdok Kak Thom]
イメージ 1
1110 IK.880
画像は、カンボジアの制服着てた高校生の女の子二人組に、なんでここにいるのか驚いて聞いているガイド氏であるが、おっさんが話しかけてもセルフィに忙しくてあまり構ってもらえない、の図。
[Ou Ba Chaun]からバイクで国境越えて30分くらい、遊びに来たという。
学生は学生証のみあればバイクごと行き来できるらしい。カンボジア人ならみんな持ってる身分証明書で行けるらしい。

外国人でもパスポートとマルチビザがあれば、正直ポイペトから入るより、人少ないし便利だろうなとは思っていたが、タイに入った先がほぼ無人で公共交通機関はおろか、トゥクトゥクなど足の確保が困難なのが問題だが、カンボジアからバイタクで乗り込めばもしかしたら遺跡巡りできるのかもしれない。
遺跡公園の南西の、資料館ぽいところにも行きたかったが時間がなく断念した。

2.[Vat Aranyakaram]
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ここはタイの遺跡網羅されてるKK様ブログで見たことがあるのでマップにラベルつけておいたので、寄った。
遺跡自体の構造ははっきりしないが、また菩提樹の周りに石材やリンテル残欠など。小さな仏像がたくさん乗せられていてあまり写真撮れず。
他にもスドクカクトム寺院への途中にいくつか遺跡があり、中には道から見えるもの(マウンドだけだが)もあったが時間がなく無念の通過。

トゥクトゥクのおじさんもいかついおっさんで不安だったが、最初に頼んだ通り今度はアランヤプラテートの南の遺跡へ直行してくれたのはありがたいことだ。

Aranya Phrathet
3.[Prasat Khao Noi]
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そもそも、今回タイに入ることは最初は想定して無かった。
タイに往来してみるのは、シェムリアプに向かう途中でぎりぎり思いついたのだった。
タイの遺跡も予習してなかったので(Mollerup氏の新著もまだ入手してない)遺跡の詳細も山の上のレンガ塔くらいの知識でやってきたが、まさかここでもサンボ―プレイクック様式のリンテルと10世紀のレンガ塔の組み合わせとは思っても見てなかった。
だが時間が押してきたのと、雷雨が来て頭の上で雷鳴がなり、光ってから音が来るまで1秒弱なので慌てて逃げだした。今回最大の危機だったかもしれない。山中の祠、祀られていた御坊様に感謝である。

アクシデントがなければもっとあちこち見れたかもしれないが、下見としてはそれなりの収穫はあったかもしれない。来年はまた久々にバンコクから車でうろついてみたい気もするが、国境で車返却できそうなところがないので難しいか。

5月4日
Siem Reap州
Banteay Srei
1.[]
2016年に建てられた祠だが、
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これらの台座や石材が、山頂から来たのか、山麓から来たのか、この山とKulen山の間のどこかから来たのかが謎である。人がほとんどおらず寺も暑さのせいか人が出てきておらず雰囲気的に聞きそびれた。

2.[Phnom Hap]
乾季ならほどよいハイキングコースか?
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Prasat Bakong
3.[Prasat To]再訪だと思うが、
今回は東バライの水門にはいかなかった。10年以上前なので場所は特定できないが、行きたい人はここからBanteay Samreに行く途中で村の人に聞けばすぐわかると思う。
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4.[Prasat Trapeang Chambak]0449 IK.548
CISARKさんの画像見ると当時はリンテルは未発見だったのか、画像がない。
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1年前記事を書いたGajendra Mokshaの、ヴィシュヌ神のお導きか。

再びBanteay Srei
5.Prasat Run Vat Chey? Prasat Ta Chey 0450 IK.550
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石板に星辰らしき穴が彫られているがどうなのか、こういうタイプはあまり見たことがないが。
後世のいたずらとかじゃなければ
博物館に収蔵してほしい。

6.[Lo Tani,Tani ceramic museum]月にくる客は5,6人らしい。まあ正直見て楽しい人はそう多くないだろうが、なんかテコ入れなりすればいいのに。6号線から66号線への入り口にも日本語で看板が出ている。が、ロリュオスの東のここを通る日本人観光客は少ないだろう。
Sutnikom
7.[Prasat Trapeang Chong,今はPrasat Banteay KchongたぶんCISARK消えた。IK.561
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IKにプランが載ってるがIK3,pp244 fig 71、崩れているものの全ての建造物の配置は分かりやすく残っている。

5月5日
Angkor Thom
[施療院]
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やはりアンコール城内の施療院はディテールの装飾に凝っている。
がこの画像ではわからない。

[Prasat Ta mao,MH384,West Top]4754 IK.471.54
西トップ、東は奈良(文研)で西は東京(文化財研究所)が修理したというややこしさ。

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東は13世紀なんだろうがこっちはどうなのか?
陶片や瓦片は多数。

[Prasat Ta Nei] 0411 IK.532
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多分昔見そびれていた、ブッダストーリーの舟で渡るお話。

[Srah Srang]0398 IK.535.03
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雨季が始まっているのにさっぱり雨が降らず、メボンが大分見えるので行ってみた。
どんな建造物が建っていたのか?

ここまでで今回はおしまいである。
今回のまとめとしては、CISARKさんが2月以降閲覧できなかったので今回は下調べもほとんどせず、2月の焼き直し以上の計画もなく、サンボ―プレイクック以外は適当に行ったんですけど、
何と言っても10世紀のラージェンドラヴァルマン2世王が、サンボ―プレイクック様式のというかその総本山含めて
レンガ寺院を、あちこちで再建、修復、再利用、増設、ついでに近くに自前の遺跡を建てることまでやってることを再確認するような感じでしたね。

やはりこの王様はレンガ王と言えるでしょうけど、何が彼をSPKに駆り立てたのか、何を企図してそうしたのかは非常に興味深い話です。
まあある程度その訳もわかっちゃいるようですが、また今後のお話として、どこかに移動後考えてみたいと思います。

この記事を書いて、当初の予定では、FC2ではなくどこかに引っ越そうと思ってましたがやはり安定のヤフー、移行ツールを
仕上げられませんでしたね。
FC2に同時投稿してもよかったんですが、画像が小さくなるのがどうも、ただでさえピンボケブレブレの写真ばかりなのにこれ以上小さくなってはわけがわからなくなるので、画像がまともなところに移行させようと考えてます。
ライブドアか、はてなかどっちかだと思いますが。アメバは場違い感が大きいので。

それとめんどくさいんですがもう一つ懸案事項に取り掛かろうと思います。
遺跡についてのお話はもうこのブログでは記しませんが、今後の方針のさらなる進捗状況は
あと数回書こうと思っております。