カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Kon Chen ~ Prasat Phnom Sandak その1

前回の遺跡Prasat Cha Chirenを紹介した後、はてどうするかと。

かなり悩みまくりましたが、やはり今回のPhnom Sandak groupと、謎(でもないけど)の王道について、およびそこそこの規模の、地方寺院に時として付随している施設の将来の考察のためにPrasat Kon Chen から取り上げていくことにしますわ。

夕刻が迫る中東進してやっと遺跡に近づいて最初に出くわしたのは南北に走る王道と思しき土手であった。Apsar(ry、バイタクの兄ちゃんが「Royal Road」とニヤニヤして指差します。
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まぶっちゃけこの写真じゃお口ポカーンて感じでしょうけど。。
Koh Kerから伸びているVat Phuへの王道に比べると規模的には小さい印象で、その分古い印象もありますが。これはとりあえず保留にしときます。

時間があったらもう少し調べられたけど遺跡案内の軍人さんが時間がないので遺跡2か所回るのが精いっぱいというのでそそくさと移動。ここからバイクで3分弱で最初の遺跡についたわけです。
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ラテライトの周壁を持った遺跡であることがわかります。

ここで遺跡に入る前にCISARKさんからまた拝借しましたPlanを見ておいた方がいいでしょう。
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こんな感じですね。
ちなみに我々は北西からアプローチして行きます。
この図面を見るとお分かりのように正方形の祠堂を持っていませんが見て行くといろいろとこの寺院の
謎が浮かび上がってきます。
それはとりあえずは措いておいて遺跡を見てみましょう。
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北側の回廊状施設の西面に迫ってます。
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レンガが落ちています。というか並んでいます。遺構があったようです。この形式の建造物でレンガを見つけるのはPrasat Neak Buos SE以来かもしれません。そちらも建物の外側に落ちてました。
このことが何らかのヒントになってるはずだと思いますが今はこれも措いておきます。
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石枠はその構造から10から11世紀くらいに下がると思います。明確にKoh Ker時代の建造物であるPhnom Sandakの付随寺院としてはその後建てられたのかという、あくまで印象ですが。
ちと中をのぞいたところで今日は遺跡については終わります。
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ほかの箇所の類似遺跡同様、北側は壁です。閉じてます。
そして南側に規則正しく開口部が並んでます。
続きはまた次回で。

さてPhnom Sandakの遺跡へのアプローチについては先達のみなさんも書かれているのですが
参考まで書いときますと。
あくまでロードコンディションのよい(よいというのはあくまで乾いてて滑らないというだけ)乾季中盤以降なら、Koh Kerから たぶんいったんSiem Reap州であるところのKromom Bol集落へ北北西に行って1時間半くらい、そこから東進してTael村までは20分弱で到達できるでしょう。
シェムリアプ州Svay LeuからTrapeang Prasat方面への道は広いけど結構通行量もあるが故にガタガタになってます。バイタクならあまり気にしないでしょうけどただし道を聞いても当てにならない場合もあります。この道沿いのTa KokからKromom Bolまで車で1時間半くらいはかかりました。バイクでもあまりかわらないでしょうけどここから先は車はかなり厳しいです。
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再掲の、Tael村の今考えれば東側、北上した道を右に折れてPhnom Sandakへと向かう角に建つ民家で
車が止まってましたがたぶん革命前に止めたっきりてくらい「古い」と住人の親切なおじいさんは言ってました。
Tael集落(タエルという発音、表記 タエルタオルでなんか孤独で寄る辺なくゆらゆらしてるみたいな意味なんで開拓当初本当にはずれの村て感じだったのだろう、たぶん)はPhnom Sandakのふもとから西に6~7kmは離れていて、しかし散在する民家がそこそこあって学校もあるし地域のコミューンもあるし、なにより水やジュースなどを売ってる売店があるし親切な方が多かったのでここらで詳しく聞くか、案内してくれる村人を募ったほうが確実でしょう。ここから先は人跡まばらなのであまり人に聞くのも難しくなるでしょう。

でもどんどん森林が切り開かれていってるのでもう少しすればまだ先まで集落が広がっているとも思われますが。。。
ここから今回のPrasat Kon Chenまではバイタクで(あくまで乾季)20分弱で到達できます。もちろん迷って森の中で3時間彷徨ったりしなければ…。