カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Sralau その2

えー。

土日臥せっておりました。
何事もなかったように続きを参ります。

本日は、バンテアイスレイ様式、あるいはほぼ同時代のクレアン様式と考えられる、
Prasat Sralauの、現地に残っている装飾の残欠(同語反復っぽい)について
見ていきます。

とはいっても乾季の、落葉の季節、これといったものは見て取れませんでした。
それでも、片鱗はうかがえるかと。

いなげやりですが、写真行きます。

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石柱の残欠

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基壇の残欠 赤砂岩がそれっぽいですが、まあけっこうあちこちにあるかと。

イメージ 3

四角い石枠の装飾。雨季だったら逆に見られたか?

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屋根の破風か?の残欠。

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これは破風の部分。

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あとは基壇くらいしかみてないかもしれないです。
この写真のように、未完成の部分もあるようです。

それにしてもリンテルは、どうなったのでしょうね。
有名なヴィシュヌオンガルダプノンペン国立博物館にあります。

ガラスに入ってましたが、2月に行ったら出されていた?
ドイツ帰りだからでしょうか?てか、ずっとあったような。。。

インドラ神のリンテルは、再三述べてますが、東京の国立博物館にあります。
イメージ 7


多少気が引けますが、CISARKから。
本のスキャンだと著作権が気になりますので。。

下のリンテルがそれですね。

それにしても、石柱とか、リンテルとかかなりばらされてフランス、あるいはプノンペンか、
ハノイかに持っていかれたようですね。

さて、残るは碑文ですが、この碑文もいまどこにあるんでしょうね。
K.782で 東門の両側の石扉にかなり長い碑文があったようです。


現地でその東門自体確認できませんでした。ちなみに11世紀の碑文で創建時のものではないようです。

2017.3追記
グーグルマップなど検索すると普通に碑文の画像上げてる人もいますね。
これは再訪必須ですが、この記事を書いた当時よりもマップの解像度が飛躍的に上がってましてルートも
わかりやすそうです。来年あたり行ってみたいと思います。

ちょっとゴールデンウィークといっても仕事もあって飛び飛びなので
GW期間中に、読んでみたいと思います。が長い。

結局。
リンテルとか破風で、この寺院はバンテアイスレイ様式といってよさそうでした。

しかし、昔の写真見ないと分からないところがあります。
たとえば、じゃあ
バンテアイスレイみたいな、東洋のモナリザとかそれぽいテヴァダは?

と、思われることでしょうが、
先日のモノクロ写真からお分かりのように
なかったようです。

なんかしまらない結末ですいません。
それと、先日の写真でもお分かりのように、バイヨン様式の石像が数点出土しています。
しかし、影も形も見当たりませんでした。落葉が多いのもこの時期つらいものです。

それでも、あちこちにちらばる装飾の残欠や、
藪の中を歩き回って石の枠など見て回ると、複雑な造りが想像できたりして
なんとなく、浸れます。

その雰囲気と、
在りし日の絢爛たる姿に思いをはせつつ、
やはり、世の無常というものとに。


アンコールワットとクメール美術の1000年展」
図録、1997-1998