カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Kraham nau kaet Otdor Mean Chey その2

続きます。
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東側正面を見てみるとラテライトの前室があったことが分かります。
建物の基部もラテライトです。

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 北側側壁。しかし崩落した遺跡ばかり見てるからかこの程度の高さのものが多い様な気もしますね。
もしかしたら屋根は瓦で木造だったかもしれません。

祠堂の石枠を見てみますと

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こんな感じですね。
正面入り口が土に埋もれてここからは入れません。
リンテルも未着手で当然側壁に碑文などもありません。
この祠堂自体が未完成だったのかもしれません。

枠の彫刻は線刻。注目すべきは写真右側、つまり北側側壁の石が土に押されて←に平行移動していることで
これは裏側から見られないため想像するに、石枠同士がホゾでしっかり噛み合わされる前の
古い組み方ではないかと考えられます。となると石柱の11世紀の推定も怪しくなってきます。
・・・

中を見てみましょう。
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崩落した南西角から中をうかがってますがイバラのようなもので覆われてます。
レンガも土に還って行っているようでした。レンガについては後述します。

西面
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偽扉ぽくも見えます。偽エンタブラチュアの構造が若干見てとれますがこれだけでは何ともいい難いですね。
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南西面に戻ってその傍らに放置された台座と思しき石。盗掘されたのでしょうかね。
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あちこちの遺跡でよく見かける、四角い穴の空いた砂岩の残欠。
銅像の台座かもしれないがよくわからない。プノンペンの博物館の展示見てホロスコープと関係ないかなどと想像したりもしたがそれはないだろう。
追記:この手の石についてはラジョンキエールの一巻のイントロダクションに多少記述がありますね。
またいずれ考察してみたいと思います。


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ふと見るとこのレンガはどうやら日干しレンガのようです。
土との同化っぷりを見るにもしかして古いのかという気もしたが
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しかし大体は焼きレンガで建てられているようですね。

もしかしたら最初は日干しレンガの塔があったのかもしれないし、ただの生焼けレンガかもしれない。
ただ このことも保留しておいたほうがいいでしょう。そっちのほうが色々想像すると楽しい。

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水が多いため環濠の様子が分かりやすいですね。祠堂前から北東を見ています。
東に参道があってそれ以外は周囲を濠が囲っていたようです。参道は藪というか森でした。

こんなところでした。
まとめると
東から参道が伸びて
ラテライトの基壇の上に
ラテライトの前室をもつ(これは類例あるが時代もかなり長い)
レンガ塔が一基のみあった。
建立年代の推定は石柱の美術様式からは11世紀初頭までと推定されるが後付けかもしれず
石枠の組み方や、レンガ自体を調べるともう少しさかのぼる可能性もあり得る。

念のため正面南側のNeak Taにはめぼしいものはありませんでした。

以上です。
あとはCISARKさん、お任せしますわ。

というかもうじき新しい寺が建てられるから急いだ方がいいかもしれませんよ。。。