カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Vat Preah Bat Buon Than(No.1903) その2

昨日の続きである。
昨日消えてしまった記事に何を書いたかもう忘れたのである。
とりあえず寺の名前の由来となった仏足をちゃんと見せないといけないのである。

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なぜ2足なのかがまたなぞなのである。
普通でっかい片足だけでおkなはずである。

本来別のものであった可能性も否めないのである。

が、それが何かは知る由もないのである。

むりやりこじつけてラーマの靴が祀ってあったのかもしれないのであるが
遺跡では類例を聞かないのである。

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Vishnu神の反対側、つまり北から撮っているのである。
ご覧の通り、木か、あるいは石だったかもしれないが柱をたてるためのホゾ穴が開けてあるのである。
後世、仏足を祀るため、そのとき作られたのかどうかは謎である。
周りは昨日見た如くコンクリの床で固められてしまったのである。

何か隠したかったのかとすら思うが邪推はよくないのである。

しかし、昨日のヨニといい、このホゾ穴といい、時代は分からないが昔ここには何らかの祠堂なり宗教施設が建っていたのは間違いないであろう。

じゃ、なんで似たような岩がごろごろ転がるKulen山麓にあって、ここにぽつねんと突発的にできたのか。

その謎の答えは、お堂の横にある。

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お堂の南側、入口の前にはこのようにKulen山を水源としてるであろう泉が2つ
湧き出ているのである。

2つてのは人工的かもしれないが祠堂の両脇に聖水が汲まれていたのをPhnom Da(Asram Moha Russei)やPhnom Chisor,Phnom Banteay Neangなどでご覧になった方もいるだろう、多分。だから2つなのかもしれないし、もともと水源が2つあったのかもしれない。

どちらにしても

多分、この泉からは古来からずっとこんこんと清らかな水が湧き出ていて、それによってアンコールの時代の人たちはここをsanctuaryとしてVishnu神を彫り、そしてヨニと、今はいずこにありや、その上の本当のご神体を祀ったのであろう。

そしてその泉の水は祝福され、そのご神体と、あのヨニに灌がれていたことであろう。

当時のその様に思いをはせると本当に清らかな、尊い気分になってくる。

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などと言いながら間にある石にも何か彫られてないかなどと必死で探したりしていて台無しである。

特に何もない。

さてこの寺の名前であるが、
Preah Batはご存知仏足石の聖なるおみ足である(Vrah Kamratenも同じ様な意味だが)。

Buon Thanとは、4の世、この世、あの世、地獄とかを言う場合の世、という意味で似てるような仏教用語に転ずると
四界ということになるのだろうか。

後世の名でしかないだろうBuon Thanと、この歴史的遺跡との関連があるのかどうかは、なぞのままであるが、少しくらい
おじいさんがいたので話を聞けばよかった。。

しかし、この四界、どの次元での話か分からないにしても、Kulen山の地、もしくは天と、水が昔から今に至るまで大きな意味を持ち続けていることは間違いないだろう。

・・・

四界を中国からの逆輸入としてKulen山の由来であるレイシと絡めて妄想してみたが、やっぱり無理があるのでやめた・・・

このくらいにしておこう。
それにしても。
昨日一日で終わるはずが、画像がおさまらず二日がかりとなりにき。

まあこんな感じで遺跡紹介するのも並行しつつ、ラーマーヤナのまとめに入りたく思うのであるが。

思案中である。