カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Vat Kralanh nau Angkor Chum2

昨日は画像トラブルで失礼しました。

本日はこの寺院の遺跡についてより深く見ていきたいと思います。

より深く?

とりあえず
現在私が参照できる資料を見てみますと、

BEFEOvol.35, 1935 P487

にあるこの寺院のちょっとした記載では、別名Vat Thnonというこの寺院は南北に並び、東向きのレンガ塔が2基と書いてます。

が、2基しかなかったのでしょうか?
Aymonierの記載はちょっと違います。久々に引用してみましょう。

「Vat Krelanh もしくはVat Prasat KrelanhはKouk Chan(遺跡です、ちかかったのね;;)の2,3キロ南東にあり、それは現代の(20世紀初頭)寺院の名前であるが、寺院の近くに、二基の石碑があり、そのひとつにほとんど何も残っていない碑文が見て取れるが、その脇に、古の小寺院の遺跡がある。

周壁はラテライトで、30mx25m、巨大なモルタル製の、これは時代が中世にまで辿れるであろうブッダと、三基のレンガ塔を取り囲んでいる。

その塔のドアのリンテルはバラモン教の彫刻で覆われている、すなわち、ラフー、ガルダ、乳海攪拌のシーン、そしてナンディン牛に乗り、投げやりで無頓着な姿態で振り向きほほ笑んでいるパールヴァティ、を膝に乗せたシヴァ神が見られる。」

どうして女神であるパールヴァティだけこんなに細かく描写しているのか、と、想像しつつも謎ですがこんな感じです。

昨夜KI様のコメント通り、3基のレンガ塔だったようです。なんで推測ついたのかはコメント参照していただくにしても、まいりましたって感じです^^。

つまりいまや寺院の基壇になってしまったラテライトはもともと、遺跡の周壁だったもののようです。
レンガがその下にあるのも、ラテライトがあとで積み上げられたからでしょう。

日本だったら発掘調査が先になされるところでしょうがそんなことは到底ありえません。
そんなもんだ。

えーひっぱってきましたが、今日は問題記事かもしれないとおもいつつ。

写真を見てみましょう。

Aymonierの記載したリンテルはあったのかどうか?も含めて。。。

イメージ 1


もう訳が分かりませんが、シヴァ神とナンディンの姿が見て取れるか、と思います。
これがAymonierの記載のものか?
と思われるでしょう、が、小さな寺院だったようなので、これのことでしょう。おいたわしや。。。

他にもリンテルを。
もうこの遺跡のリンテルの扱いは無残なものです。

イメージ 3


なんかの祭祀に使って放置された竹の枠組みの下にリンテルがあります。これは
レンガ塔の北側にありましたが、これじゃあ見えない。

しかもこの枠には赤アリが行列しておりとても触れません。
イメージ 2


何のことやらわかりませんね。私もわかりませんorz。

なんかむなしくなってきた・、λ... ちぇっ

と、足元の石を見ると。

リンテルの上部の並ぶ神々、土から顔を出していた。

少しほじくって写真を撮ろうと思ったら、ガイドさんが掘ってくれた。
ので一緒に掘ってみた。いいのか?

イメージ 4


イメージ 5

ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ(Krisna Govardana)、未完成だ。しかし、
本体は破損はしていないようである。

この寺院自体未完成であったのかもしれない。時代考証は、これだけでは何とも言えない。
10-11世紀プレループからバプーオン様式と幅を取っておこうと思う。

いやそんなことをのんきに考えている場合ではない。

こんなものが廃材と一緒に埋もれてていいのか?
これ以上は落ちてたプラスチックのの丼と木の枝で掘るにはむりがある。てか勝手に掘ってるのでまずいし。

寺院の坊さん(大抵若い)にガイドさんから、言ってもらったが、
案の定関心ないようだ。四五百年前にできた寺院だ、くらいの認識しか、彼らにはなかった。

とりあえずガイドさんにAPSARA(シェムリアプ州の遺跡保存をつかさどるお役所)の知り合いがいるとのことで、やったところで多分放置されたままであろうが、知らせてもらうことにした。

イメージ 6


とりあえず埋め戻しておいた。縁あって出くわしたが、いまはそのほうがいいかもと、
ガイドさんと話し合った。てか素人がこれ以上余計な事をしないほうがいいかと。

(警告!:ちなみにアンコール遺跡内でこんなことしてたら間違いなく逮捕されますので気をつけましょう、20世紀末には窃盗団と銃撃戦などあったようですので、下手したら撃たれますよ?それ以外ならいいのか?といわれると返す言葉もありませんハイ)

話が大いに脱線したので続きを。。。

イメージ 7

シンハも埋もれている。諸行無常です。首は持ち去られたか?

イメージ 8

塔頭と考えたら、相当高い塔だったのではなかろうかと思われます。さりげに埋め戻しているガイドさんをほったらかして写真を撮ってるのがばれますね^^;。

イメージ 9

わずかに残る、基壇の装飾。

イメージ 10

石柱の残欠も放置。
これも未完成っぽいですね。やはり11世紀までのものかと。。

結局これらを見ても、よく分からないというのが正直なところですが、
CISARKの写真を見ると、やはり10世紀前半と思われる、インドラ神モチーフのリンテルが出てます。
あとは、磨滅して碑文も行方不明なため、推測に任せるのみです。

それにしても。
建築途中の絢爛たる現代寺院の傍らで投げやりで無頓着な様子で放置されていること自体、歴史といえば歴史なのでしょう。
寺院が立つことはよいことだと思います。

けど、どうなっただろう、あのリンテルは。
なにかしらの縁あってのことと思いながら、偶々見つけた身としては気になるところです。

また立ち寄ってみたいと思います。

参考
1.Etienne Aymonier ”Le Cambodge.Ⅱ”378p
English translated by Walter E.J.Tips "Khmer heritage in the Old Siamese Provinces of Cambodia"p184-185
White Lotus,Bangkok1999

2.EFEO ,"CHRONIQUE DE l'ANNEE" 1935 BEFEOvol.35, P487,1935
以下のサイトからも参照できます。
http://www.persee.fr/listIssues.do?key=befeo