Prasat Thanong IK376 No.915 その3
じりじりとにじり寄って遺跡に迫って参りましたが、本日は主祠堂の部分、と周壁および西門についてみてまいります。
やっと多少画像を圧縮するスキルを身に付けたので今日はどんどん貼っていきます。
やっと多少画像を圧縮するスキルを身に付けたので今日はどんどん貼っていきます。
これが主祠堂と考えられる建物の基部ですね。すっかり上部は消えさってますが。
南東から見てます。
そしてそのすぐ後ろ、つまり西側には門があります。門と言っても西から入ることはできません。後衛のような感じです。
ちょっと拡大
この西の建造物はレンガ造りだったことが見て取れますね。
この西の建造物はレンガ造りだったことが見て取れますね。
これは遺跡の前後周囲に大量の石材がばらされて、アナスティアローズ法によってであろうと思われますが復元を待っているので出来上がったらまた見に行ってみたいものです。まあどの程度復元されるのかは定かではありませんが。
外周の壁ははラテライトで、少しずつ復元が進んでいる(のか残っていた?)ようです。
ちとその置かれてる石材など覗いてみましょう。
西側の分ですがこう並ぶと壮観ですね。赤いビニールひもで立ち入り禁止の結界が貼ってあります。
多分祠堂か門か、経蔵かの入口の石枠が組み立てられて並べられてます。この石の組み方も時代考証のひとつのてがかりではあります。
西側の分ですがこう並ぶと壮観ですね。赤いビニールひもで立ち入り禁止の結界が貼ってあります。
多分祠堂か門か、経蔵かの入口の石枠が組み立てられて並べられてます。この石の組み方も時代考証のひとつのてがかりではあります。
これは回廊の窓枠であろうことは想像に難くないですね。連子窓の石柱が見当たらないのはなぞですが。
台座っぽいものと、未完の、入口に立つ門柱でしょうか。
装飾された祠堂の基壇と思しき石材。美しいですね。
まあきちんと11世紀、その半ばくらいの遺跡であろうと遺跡の案内板にも記されてますがそのようですね。
東南隅エントランスの横にも石材が積まれてます。が、これだけみてもどう組み立てられるのか想像はつきにくいですね。ただラテライトと砂岩とでできた建物であろうかと。
追記:メモ Banteay SamreやPhimai見てきたので思い起こすにラテライトの壁に規則的に砂岩が正方形に、あたかも偽窓のようにはめられてましたが、時代は上りますがその類のものかもしれません。
それにしてもこの、大きめの長い砂岩の柱状の石材が結構目立ちます。西にあったまぐさ石と違ってホゾ穴や切りこみもなくなんでしょうか。シンプルに乗せられていただけのタイプのまぐさ石でしょうか。
それとも今から切り出す新しいものなのか。
それとも今から切り出す新しいものなのか。
分からないことはそのままにしておかざるをえませんが、これで一通りこの遺跡の建造物のあとについては見てまいりました。かなりはしょってますが。
次回がこの遺跡の最終回。この遺跡の歴史の深淵を探ってみましょう。
ヒントはそこらじゅうに落ちてます。
ヒントはそこらじゅうに落ちてます。