カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Kdei Ta Kom Thom その5

本日もKdei Ta Kom Thomについて、写真中心で眺めて参りたく思います。

やっと中央部の東楼門にとりついたところでしたので、
本日はこれと、中央部について眺めてみたいと思います。

では東楼門の内部など。
ここの右側の石壁に碑文K.246がありました。それはおいといて、

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楼門に入ると左右に回廊がありますが、その梁の部分には両側ともオリジナルと思しき
木材の梁が残っています。チークでしょうかこの固さは?
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アンコールトム内ではクレアン?の回廊にキレイに残っているのを思い出させますが
なかなか経年にも石の負荷にも耐えていることは感動させられます。
この技法もどうでしょう。バンテアイトープやクレアンなどと考えると時代が特定されてくる
ってことはありえないでしょうか?

まあ、妄想はそこまでにして、内部のリンテルです。
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これは10世紀末の、バンテアイスレイ~クレアン様式のようにも見えますが。
破損がひどいのでなんともいえないですね。

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いよいよ核心部に入りました。見返りに今の楼門を中央部から。

核心部に行く前に、やっとなにかしら意味が分かる残欠が
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これはナンディンでおkでしょう。

他は気づきませんでした。

核心部には南北左右に経蔵と思しき建物が2基ありますが、北側の方がよく
残っています。
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南に開口していますね。。

南側の経蔵は
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こんな感じです。

追記 どうもおかしいと思って見直したら、コレは同じ北経蔵で、
単に西側から見たところですね。大変失礼しました。

中央祠堂の周囲は回廊が取り囲んでいたことになります。
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これは回廊北側ですね。内側にしか開いてないですね。

で、肝腎の中央祠堂ですが
Aymonierより
”この中央の空間には2基の小建築物と、そしてきっと美しかったに違いない中央祠堂、それはいまや
石の堆積のみ-がある”

はい寺院の中心である中央祠堂はこうして100年前には、すでに崩壊していたということです。
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写真で語り合ってるお二人は私のガイド、博識なポーキーさんと
なんとこの2週間後に旅行に来る日本人のお客さんにこの遺跡への案内を頼まれたと
下見に来たという、これまたガイドさんです。友達とバイクできてました。

シェムリアプのガイドさんもピンキリでいろいろいますが、こういう真面目な方に
案内してもらうと、ありがたいものです。どこの会社か聞きそびれましたが。。。

しかしいきなり日本語で話しかけられて一瞬混乱しました。
こんなところで見知らぬ人に日本語で話しかけられるというのも、
感慨深いものです。

はい、今日も紹介し終われませんでした。
あと2回でこの遺跡も終えられると思います。

参考 Aymonier"le cambodge Ⅱ"はデフォです。