カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Kdei Ta Kom Thom その3

2日間でこの遺跡の外周を廻ってきましたが、
本日はやっと東門、正面に戻りまして
やっと中央部の楼門までたどり着こうと思います。

この寺院は3月21日のPlanでごらんのとおり、外周に遺跡があってその中に環濠があります。
ちょっとこのことを留意しつつ、参りたいと思います。

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東面です。ああ記憶が定かでないですがこれ、北東角だったような。

東門も崩落が激しいです。
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しかしいつも言ってますがこの石彫は堅い紅砂岩のためもよりますが
本当に美しいです。テヴァダなど人型の石彫がないのが残念です。
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東門についてはまた後日再び取り上げるとして、とりあえずいよいよ
中に入ってみます。

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はい、今日のハイライトの部分です。
ごらんのとおり東楼門から第二楼門に向けて、石の舗道が見られますがこれは

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このように埋没して、分かりにくいですが円柱によって支えられた空中歩道であったことが
伺えます。

確か石澤先生の説によると、バプーオンやアンコールワットなど
(他にも多数ありますが)でみられる空中歩道や円柱で支えられたテラスは
Jayavarman8世王が13世紀に既存の寺院を改築したものではないかと
昨年テレビで仰ってたのをご覧の方も多いでしょう。

ここの空中歩道もそうなのでしょうか?

この手の空中歩道は
アンコール地域以外では、記憶に残っていないこともありますが、
ベン・メリアくらいしかわかりません。他にもあるかもしれません。

私的にはどうなのかわかりません。ほんとかよ?と疑ってもいたんですが
改めてしばらく写真を見ていると、
確かに寺院の建造物の主体である紅砂岩や黄砂岩とは異質の
灰色の砂岩が使われていることは見て取れます。
後世増築した、と考えられるかもしれないと、転向したくなります。

こういう寺院の研究によって、13世紀のことなど
もう少しいろいろなことが分かるのかもしれません。

とりあえずこのことひとつとっても、やはりこの地域では重要な寺院であったのでしょう。

ではこの空中歩道を通りつつ
中央部の東第二楼門に迫りましょう。

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リンテルはこのように破損が激しいですが、たわんだ花綱など10世紀末以降の作風であることが
わかります。

楼門の上部にも装飾が残ってます。

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この楼門だけでも一日分費やしたいくらい見どころがありますが
とりあえず今日はここまでとしておきます。

この楼門の内部に残った碑文が2007年9月9日の写真のものです。
碑文解読は暇があれば行いたいと思います。

参考:
①石澤 良昭、日本放送協会「この人この世界 2007年2-3月 (2007) (NHK知るを楽しむ/月)」 、 日本放送出版協会 (ムック - 2007/1)