Vat Khnatその2
えー。
先日ご紹介したVat Khnatですが、現場にはこれといって時代や歴史を考証できる遺物は少なかったようです。
先日ご紹介したVat Khnatですが、現場にはこれといって時代や歴史を考証できる遺物は少なかったようです。
何か納得行きませんが今日は予告したとおり
CISARKさんのサイトからお写真をこそり転載してみたいと思います。
CISARKさんのサイトからお写真をこそり転載してみたいと思います。
その前にこの遺跡の位置関係をおなじみグーグルアースで見てみましょう。
Trapeang SengとかSpean Memaiはどうしたという突っ込みもあるでしょうがスルーしつつ。
この、西バライの西半分に点在する、
プレアンコール期の遺跡の数々、
ここはやはりJayavarman1世と、その娘、嘆きの女王Jayadeviの都城ではなかっただろうかと
思われます。Ak Yumなどの項目でも書きましたが。
この、西バライの西半分に点在する、
プレアンコール期の遺跡の数々、
ここはやはりJayavarman1世と、その娘、嘆きの女王Jayadeviの都城ではなかっただろうかと
思われます。Ak Yumなどの項目でも書きましたが。
それで、このVat Khnatがいかに古い遺跡かを証明する出土物が
多々ありますので、見てみましょう。
多々ありますので、見てみましょう。
なんていうか、プノンダ様式かもしれませんね。
しゃれになりません。
どうも、祠に以前安置されていた
Yama像とヴィシュヌ神像のようです。
片膝ついて座ってるお姿に見覚えのある方、
そうです。
ライ王のテラスにも似たのがありましたね。レプリカですが。
本物はプノンペン国立博物館の真ん中にいますが、あれもレプリカっぽく見えてしまうのは
私だけでしょうか。
ディテールは分かりませんが、類例と考えてよいでしょう。
いずれにしてももうプレアンコールの香りがします。
いずれにしてももうプレアンコールの香りがします。
ライ王のテラスの、昔ライ王今Yamaの時代考証については
いつもお世話になっている
angkor_yoshimuraさんのサイトで検証されてますのでご参照ください。
http://angkork.exblog.jp/8072095/
このお方、私的にはプノンダ様式だと思っております。
螺髪とか、体つきのごつさとか。
angkor_yoshimuraさんのサイトで検証されてますのでご参照ください。
http://angkork.exblog.jp/8072095/
このお方、私的にはプノンダ様式だと思っております。
螺髪とか、体つきのごつさとか。
で写真の彼も似たようなかっこうしてますが
頭の螺髪(パンチパーマがちょっと違うのでもう少し時代が下がるかもしれません。
さらに、(建築の神)ヴィシャヴァカルマンかもしれませんがw。
でもアンコール時代のものよりは古そうな印象です。
ああ現物みてみたい。。
頭の螺髪(パンチパーマがちょっと違うのでもう少し時代が下がるかもしれません。
さらに、(建築の神)ヴィシャヴァカルマンかもしれませんがw。
でもアンコール時代のものよりは古そうな印象です。
ああ現物みてみたい。。
どちらにせよ、この寺院からかくも古い遺物が出てくる、
ということをいいたかったわけであります。
ということをいいたかったわけであります。
じゃ、碑文はどうよ?
という話になりますが、K.259
はシャカ暦874年銘、800年の記述もあるようで、となるとインドラヴァルマン1世、
ラージェンドラヴァルマン王の時代となりそうですが、ジャヤヴァルマン2世の記述もあるようです。
しかも仏教。
引っ張って悪いですが、週末にでも読んでみたいと思います。
Aymonierの本にも訳文は載ってますが、
セデス先生の本が行方不明なので;;。
という話になりますが、K.259
はシャカ暦874年銘、800年の記述もあるようで、となるとインドラヴァルマン1世、
ラージェンドラヴァルマン王の時代となりそうですが、ジャヤヴァルマン2世の記述もあるようです。
しかも仏教。
引っ張って悪いですが、週末にでも読んでみたいと思います。
Aymonierの本にも訳文は載ってますが、
セデス先生の本が行方不明なので;;。
あまり他人任せで申し訳ないのであとは、残りの写真など見てササッと終わりたいと思います。
放置されてた、セイマー石というか石段の基部。
先日出した写真の別角度かもw。
屋根飾りか石龕かの残欠に辛うじて人頭型の彫刻が残ります。
僧院というか、坊さんの居住区の階段の礎石に再利用された、
とても古い石材。
とても古い石材。
寺院内も
アンコール期のものはないようです。
アユタヤー様式に近いお体つきの仏様ですが首から上がないのでなんともいえません。
アンコール期のものはないようです。
アユタヤー様式に近いお体つきの仏様ですが首から上がないのでなんともいえません。
まあネタ切れに近いのでこれくらいにしておきますが、
この寺院じっくり研究してみたいところではあります。
ここにまつわる文献もかなりありますので
まあ少し目に通せるものは通してから、いずれまとめてみたいと思います。
この寺院じっくり研究してみたいところではあります。
ここにまつわる文献もかなりありますので
まあ少し目に通せるものは通してから、いずれまとめてみたいと思います。
まずは週末に碑文でも。。。
参考
Aymonier "le Cambodge Ⅱ"393P.1901
「アンコールワットとクメール美術の1000年展」図録、朝日新聞社 1997
CISARK
http://www.site-archeologique-khmer.org/core/photo.php?id=487
Aymonier "le Cambodge Ⅱ"393P.1901
「アンコールワットとクメール美術の1000年展」図録、朝日新聞社 1997
CISARK
http://www.site-archeologique-khmer.org/core/photo.php?id=487