カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Phum Snay 2補足

追加で多少。

村落の西はずれにある新しいお寺。
あろうとことか、聞いた名前は、失念した。

その敷地

高床式住居はユネスコが再現したものらしい。
この村落の原初的光景を再現したかったのか?

死んだ建物で、だれもいない。住んだり管理したりもしない、ようだし、そもそも
観光施設としても無名だ。
何がしたかったのか? 
いずこも同じかもしれない。

イメージ 1

空虚な感じ。

その南?隅にあるブロック立てのストゥパ。
キリングフィールドの鎮魂碑に見えるが、

盗掘して一儲けした連中が、贖罪のためか、盗掘の際出土した人骨を
納めるために建てたとか。

イメージ 2


ここでも気軽におじさんたちは骨を取り出しては、どうだ~古いだろう~
と見せてくれたが。。
ほんと、ちら見しただけでは、いつの時代のか分かりませんし。。

でもまあ、

頭蓋骨だけでも100体以上はあったようだが。
こんなにも大量の人骨が出るのは、
長年に亙ってここが集団墓地として使用されていたためか?

人骨の特徴を一体一体調べるとその特徴に、断片的な時代による異同が見られるかもしれない。
が、もしこれらがほとんど同時代のものだとすれば、それはそれで驚きだ。

まあ、そこら辺に転がっている陶片見る限りは、長年の蓄積、
多分、先史時代から(どのくらいさかのぼれるか、だが)
アンコール期までの物ではなかろうかと思われるのだが。

また下顎骨がパティーナに染められて
青銅色となったものも見られた。

これらは、埋葬時に口に銅の副葬品(呪術的な意味合いがある?)か何かを入れたためだろうとのこと。
その銅製品についてはぼろぼろで何か分からなかったが。

写真も撮ったが、自重しております。

科学的な調査とか、いろいろネタに付きない貴重な古代からの遺跡であることは
間違いないので、さらなる研究が進むことを願ってます。

とりあえず、村の中央に戻って見るとしますか(てか最初にここに行ったんですがw)。

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ユネスコもそれなりのことはしてる、つもりです。
この倉庫に、色々資料なぞ保管されてますが、おざなりなのは仕方ない。

はい、古い物好きのみなさんお待たせしました。

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それなりのガラスケースに、出土した土器が展示というか、保管されてます。
これだけでも、時代の変遷が見て取れます。

やはり黒陶はそれなりの古さあるようです。
中段の丸底の大壷なんかは、扶南時代といえるか?

長足壷なども相当古そうです。まあ妄想ですな。




日本の大学(うわ忘れてるが、早稲田?)が撮った航空写真が、色あせて背後に貼られてます。


奥の倉庫にはなんか、農機具とか肥料と一緒に大量の出土した土器が保管されてます。
おじいさんたちが調子に乗ってどんどん見せてくれますので、見たい方は現地でこの倉庫
(一応鍵かかってます。)の前でうろうろしてると、
だれかがおじいさんに連絡取ってあけてくれることでしょう。

てかここからすでに足元よく見れば土器片が転がってますが。。

壷ばかりに目が行ってますが、どうも陶製のボビンのようなものも多数ありました。

布を織っていたのでしょう。が、これがいつごろになるか。
が、実は前回の柳葉伝説の解決のヒントになるのかもしれません。

ま、フルだけふって投げっぱなしにしておきますが。


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とある民家にて。

まあ、この村では、こうやって歴史遺物も日常に溶け込んでおります。

CISARKさんのサイトでも似たような光景が映し出されております。
昔はもっとこんなだったんでしょう。。
大分持ち出されてしまったんでしょうけど。

おじいさんも、クメール黒陶の大壷(割れてる)保管してるので見せてあげよう、
とか言ってましたが、なんかうやむやで終わりました。

まあいいいでしょう。

またこの近辺については書きましょう。
いつになるかはナゾですが。

追記 カテゴリ誤爆してますね。
Phum Snay は先史時代に入れるべき遺跡でした。。