Toul Prasat Phum Prasat
遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。
今年は少し心を入れ替えて、入れ替えすぎて戻ってしまいましたので、またこのペースで行くと思いますが、気長にお付き合いくださいませ(涙目)。
さて、タイも少しは落ち着いたのでしょうか、少なくとも空港は使えるようになってるみたいなので、2月にカンボジアへまた参りたいと思っております。
さて、年をまたぎましたが本日はPreah Net Preahにあった、遺構をひとつご紹介します。ここも雰囲気
がまあまあ近いPhum Snayの丘に似てまして、
がまあまあ近いPhum Snayの丘に似てまして、
丘の寺院という名のとおり環濠に囲まれていた丘になっています。
やや陰気な雰囲気なのは藪と、今にも降りそうな雨のためだけではないかもしれません。南側の濠です。
建造物は石の梁とか台座くらいが丘の上に集められていて、あとはレンガが祠に多少つんでありました。結構大きめのレンガです。
アンコール期と思われる寺院が建造される前から、ここはなんらかの歴史的遺構だったのだと思います。が、詳しいことはなぞです。
どうも気になるのは、先史時代と思しき土器片が多くクメールの陶片が見る限りみあたらない。
人骨が散乱している。しかしここは少なくとも近代以降墓地になってるようで、歴史的意味があるのかどうかは分かりません。Phum Snayのおじさん式の推測では古そうでした。
人骨が散乱している。しかしここは少なくとも近代以降墓地になってるようで、歴史的意味があるのかどうかは分かりません。Phum Snayのおじさん式の推測では古そうでした。
つまり古い土器片が散乱していたってことはここはアンコール期に寺院建立する以前から丘状になった場所で、そこに寺院を建てた。
ついでに掘り起こしたとき土器類も露出したがアンコール時代の人は気にもしなかった?
ついでに掘り起こしたとき土器類も露出したがアンコール時代の人は気にもしなかった?
もしくは土器類が古いと思っていてもアンコール期も普通には使われていたものでしかない?
まあ、考え出したらキリがありません。
が
土器片はやはりPhum Snayのものに近く、古めの黒陶もあり(線刻文)メインは先史時代のもののようです。
が
土器片はやはりPhum Snayのものに近く、古めの黒陶もあり(線刻文)メインは先史時代のもののようです。
ALERT!
次の写真は分かりにくいので出しますが、良く見ないと分かりませんが人骨の一部も写ってます。
見たくない方は回避してください。って無理か^^;。
次の写真は分かりにくいので出しますが、良く見ないと分かりませんが人骨の一部も写ってます。
見たくない方は回避してください。って無理か^^;。
合掌しつつ。
やはり骨も古いもののようでした。が、今見たら
牛の骨かもしれないヾ(゚Д゚ )ォィォィ。
人にこんな骨ないような。。ああうろ覚えてか忘れました。
最近全くちゃんと調べ物をしてないので、こんな感じですが、年明けそうそうこれでは、今年も思いやられるものです。
まあ、ボチボチ参りましょうw(wじゃねえょってツッコミが)。
追記
CISARKさまサイトです。
CISARKさまサイトです。
このPreah Net Preahの町も元々ずっと古い集落だったのではないかと思います。
この点はまたもう少し調べてからにします。
この点はまたもう少し調べてからにします。