カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Toul Prasat nau Anlong Veang

ちとあちこちの資料を参照するのに飽きましたw

てことで参照しなくていい遺跡を載せればいいやとCISARKさんでも空白地帯になっている
Anlong Veangの西、Toul Prasat集落にあるToul Prasatについて箸休め程度書いておきます。

行ったのはもう5年前になるのか。。

旅のお供10万分の1地図を見るとアンロンヴェンの西にToul Prasat集落があります。

アンロンヴェンでポルポト派の残骸を見て回るのも悪くないですが気分は晴れません。

遺跡でも探してみるかということで尋ねたら地元の子供がタバコ咥えてちゃりでどっか行ってたのでつかまえて案内してもらいました。なんもないよと事前に言われてましたがw

どのあたりか正確な場所は定かでありませんが、表の集落から西に距離はともかく10分くらいは歩いたかと。

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とまあ環濠があります。南東角から入ります。

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東面 まあ門でもあったのか砂岩の柱が落ちてます。が
奥にはちょっといけそうにない雰囲気。

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どうやらレンガ塔だった模様。
レンガはアンコール期のものだろうというくらいしか推定出来ません
が、比較的大きめのレンガを使用しており古めかもしれませんね。

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若干砂岩なども残っているが推定できるような装飾の施されたものは見つけられませんでした。

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藪の中に目を凝らすと建造物の残骸と思しき石の積み重ねがあります。
これはレンガだったかもしれませんがw
 
これは多分北東角の建造物かなんかだったはずで

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基礎はラテライトで組んであったのは分かります。しかし角にもレンガの建造物があったとなると
そこそこの規模の寺院だったのかもしれません。
があまりうろうろしてないので大きさを把握してません。。。

で藪の中を必死で見てみると

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よくみるとラテライトの建造物らしきものの残骸とその中央が掘られてるようにも見えます。
これは経蔵のようなものだったのでしょう。多分。

こんな感じで天気も悪くなにやらいろいろとどんよりした気分だったためもう少し詳しくみておけばよかったものの雨が降りそうなので引き揚げる始末。
てかカメラの電池がもう切れかけてました。

最後に実はこれが一番言いたかった。
帰りがけ(行きも通ったっけ?w)に見た先史時代のマウンド
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電池の都合で遠目にしか映ってません。あとは写メ撮ったんですがお見せするレベルのものではありません。。

塚の真ん中が真っ二つに割れてるのはもちろん盗掘して色々掘りだして売り飛ばしたからです。
金や銅、宝石?(多分縞メノウとかでしょうね)が出たそうです。
すげーもうかったなどと申しておりました。

でも完全に掘りつくされて破壊された様子でもないので5年前だからどうなってるか分かりませんけど
間に合うなら発掘調査をしてほしいものです。

今回Utdor Mean Chey州、前回書いたPrasat KukとPr.Lbeuk周辺でも先史時代の塚を盗掘したというバイタク兄ちゃん達の話もありました。

村人が銭にシビアなのはこのせいもあると思われます。

それがいいたかったことです、てわけでもなく(言いたかったがw)

このカンボジア北西部からダンレック山麓にかけても

先史時代から人がそれなりに住んでいてまあ金(青銅にメッキとしても)や銅製品、貴石などを
副葬できる程度の有力者がいるくらいには
それなりに豊かな生活もできていたのではないかというのが私の推測です。

出土物がどんなものかは知りませんが、ここら辺もアンコール時代に王道だなんだという以前からダンレック山脈の上と下とで交流があったのではないかと思われます。



まあ今回は参照する資料も見なくていいのでテキトーに書いてみました。先史時代についての資料は、
まあいいかw。
参考文献の項目もいい加減更新しないといけませんね。。

ともあれ


遺跡がデータベース化されるのはありがたいですが、まだまだ未収載の遺跡はカンボジアには
眠っていると思うとわくわくするもんです。
たまには地図から探してみるのもいいもんですよ。

しかもこういうところは
遺跡と先史時代の遺構と近くにあるので何らかの関係があるかもしれず
非情に興味深いのでできたら学術調査をしてもらいたいものです。いずれ。。


あれから5年経ったもののまだ地元民以外は知らずにやり過ごされているのかもしれないので
とりあえずふと思い立ってかいとくことにしました。

てことでたまにはこんな感じで。