カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Preah Theat nau Phum Skou, Thmei, Kaet Kratie 3/3 まとめ

引き続き周辺を見回してみてまとめに入りましょう。

祠堂から北、前回最後のレンガのマウンドからさらに北東に
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祠堂北部にはこのような、一見池のような空間が広がっているが
あまり高低差がない。これも詳しく調べられないと何とも言えない。

また祠堂東側は
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これも若干広場ぽいがここは木造なりなんなりの建造物が建っていたとしても不思議ではない。
ちょっと写真左奥に塚が見えるがこれは完全に写真見て気づいたので調べそびれた。
この空間の奥も農道が通っているのが見て取れる。このように乾季は無人ぽい原野であるがかなり開墾されている。

あとは祠堂周辺に落ちていた石材などを。

前室前の意味ありげな石材の残欠。
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これは中央祠堂入口前のSemaというか階段で結界をなす石ですね。それとなんらかの構造物。
神像の一部かと思ったがちょっと違うか。
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前室南東斜面同じような結界石など。
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祠堂前、円形台座か塔頭の一部かはっきりしないが。
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このほかもヨニの一部が祠堂内部にあったのを再掲
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で、装飾のある部分は発見できなかった。

石材の装飾から時代推定することは不可能であるが
日干しレンガ
石柱の作り組み方(これもあてにならない気がしてきたが)
からはやはりプレアンコールの寺院だったと考えられる。

まとめ代わりに今までの概略図をお絵かきしたものを晒しておくが縮尺含めてあくまで適当である。
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ほとんど土に還りつつある遺跡であるが確かにここに寺院があったことだけはまちがいない。ただし村人の話では7,8年まえに崩壊したとのことだがそれ以前から、この寺院の素材の質が今一つだったせいで徐々に経年とともに壊れていっていただろうと推定される。そしてこの寺院も御多分にもれず、盗掘されたかしてめぼしい出土物はすでに持ち去られたあとである。

なおいつも手掛かりにしている陶片の類は発見しそびれた。
水辺、というものがないせいもあると思われる。

以上でこの寺院については終わりにしますが。
この近辺の知られざる遺跡についてご指南いただいたのでその地図を。

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言い訳:カメラを車に置いて話聞きに来たためガラケーで写メ撮ったが全部写っていなかった。
そのため4つくらいしか写っていなかった。てか心眼をもってすれば4つほど遺跡のありかが示されていることがわかる、はず。
が、記憶で105集落の突き当りに一つあるとは覚えている。

よって、これでは不親切なのでまた私の記憶をもとにお絵かきしたものを提示して終わりとする。
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・・・
赤が道で水色の○が遺跡の場所の概略である。
信憑性は乏しいがグーグルアースで見る限りこの遺跡の一つPhnom Nyonと思しき森が中央の○のあたりにあるので少なくとも一つは当てはまっているだろう。またこの山はベトナム企業がプランテーションでなんか作ってるらしいのでそこまで難しい場所ではないだろう。
それと帰りのお家でお伺いしたPhnom Kuはかなり遠そうだったのでこの地図内には描けない。

3/21追記
Merci M.Brugiur.
返信が来ました。なんとかここらへんの遺跡の登録をトライしてみるとのことでした。
よかったですわ。