カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2/15 シェムリアプでも

道に迷いつつ遺跡を彷徨うのはいつも通りである。
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Sutonikom とChikrengの境界あたりで,SiemReap

①Prasat Trapeang Run IK208.02 再訪 寺を建設する予定のためすっかり遺跡はクリーンアップされており四周をぐるりと見物できるようになっている。またNeak Taも新しく横に建てなおされていた。
再度いうがここは美術史上重要ではないか。

②その後③の遺跡へ向かう道の途中でNeakTaにBayon時代の石のこじんまりした三尊像のうち、左側のPrajnaparamitaだけ残っている残欠や薬研の杵などが祀られているのを車上より目ざとく見つけた。しかし、その家の人に聞くと、昔、もう死んだ家族の男性が遠くから運んできたとのことでこの近郊にあるいくつかの遺跡のどれかから持ってきたのであろう。

③Prasat Thnaol Dach IK211 知人に聞いた限り①からすぐとか一本道とかいわれてたが、バイクでの話で車なら一旦6号線に戻りSangveayの中心の道を④のVat Ksachの前を通りつつTotoeng Tngaiの集落を目指さないといけない。名前の通り、道が途絶えたところにある、しかし堂々たる、しかも3基の祠堂がつながった、外周の初期的な回廊もレンガの連子窓を持っていてそれが稀有なことに残存している、すばらしい寺院であった。

ここも昔からちょっと小さめのさびしいお寺があったようだが再建中で途中の道もコンクリの橋をかけるため坊さんたちが率先して村人が日曜なのに作業していた。寄進を集めていた。
③.5
帰りがけの道すがら見ると畑と藪の境界に石柱というか石材が1つだけ掘り返されていた。周囲を見てみたが遺跡らしきものは何もなかった。③に西から運ぶ途中だったのか。
しかしこういうことがあるからいろいろと面白い。

④Vat Ksach IK207  砂寺である(直訳) CISARKさんのサイトのような砂岩とラテライトの石材や台座の場所は不明。子供が撞いている臼になってるもともとは台座の砂岩は寺のNeak Taの傍らに転がっていた。そして寺の東には池が柵でおおわれ、寺の北北東にここが寺院であったレンガと、砂岩がひとつ落ちていたが、なにせ今や墓地になっていて寺院はやぶの中で見て回りづらいものがある。
Roluos
④Prasat Preah Ko IK585 木枠が取れてからいってないので碑文を写しに行ったが観光客が多くあわただしい。後列中央祠堂の西偽扉の北柱にまで碑文があるとは知らなかった。

⑤Bakong IK584 ついでに寄ったがあちこち修復していた。
ハイシーズンであるためだろうけど、ロリュオス遺跡群であってもそこそこ人が多く、ゆっくり見て回るということはもうしずらいが、このバコンなどは上の主祠堂(といってもアンコールワット様式の再建をさらにフランスが再建しなおした)に向かう人は多けれど下のレンガ塔は静かなものである。

田舎のほうを旅してからアンコール遺跡群の混雑ぶりを見るとちょっときついものがある。人が多いだけでなくいろんな連中もやってきている。私が偏狭なせいもあるが遺跡でたばこ喫いだしたり大声でわめいたり人の動線上や写真スポットで座り込んだりするグループなど見るにつけイライラしてばかりである。かと思うと子供がはしゃぎすぎてるとQuiet!と注意したりする親御さんもいて子どもが騒ぐのはあまり気にならないけどちゃんとしてるなあと感心したりもするのだが。

先週などはテレビで、アンコールワットで裸になって写真撮って逮捕された米人姉妹の裁判のニュースなどやっていたが、例えばクリスチャンならバチカンのサンピエトロ大聖堂でそれやったらどうなるかとか、そういう想像力をどうして働かせられないのだろうか?

いやちょっと見たかったとかは決して断じて全く思ってないですよ?(台無し感)