カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

碑文K.135 Prasat Lobok Srot(Prasat Lbeuk Sraut,Prasat Srot Srei)IK131.02 その11

2015.7.3 5月に書きかけて放置してましたが、やる気が充電されたので公開します。
これでまた充電が切れましたので次回は不明です。
・・・

さて途切れ途切れですが続きます。
今回は短文です。この遺跡で見つかったもう一柱の碑文K.135ですが。
3行しかありません。
しかしいろいろと謎を深めております。

まずセデス先生はこの碑文の字体から6ないし7世紀前半の碑文としております。
これを証明する内容は本文中にはありません。
しかし否定材料もありません。
またCISARKさんつまりはEFEOから写真を拝借してみますと、

イメージ 1


ご覧のとおり、形状からこの碑文が祠堂の、入口に向かって左側の扉の壁の石材に記されたものであることが推測されます。しかし、どこで見つかったか、はわかりません。外されていたようです。
この碑文もプノンペンに収蔵されているらしいのでともかくは安心ですが。



とりあえず内容を見ていきましょう。

(1) mūla gui kñuṃ vraḥ kamratāṅ ’añ śrī vṛṣabhadhvajeśvara

聖なるŚrī Vṛṣabhadhvajeśvara神(聖なる牛Nandi Vṛṣabhaは雄牛 の御者の支配者?という即ちシヴァ神)に奉げられた僕奴は
(以下)
[kantai]2 ku
(2) vraḥ kañje kon 2  □ □   kon 3  ku mandodarī  kon ku ratnaśrīya  ku ma
(3)llavikā   ku sanidha  ku n□ śrīya   ku ’agat   ku juṅ   ku kañjoṅ   ku kvās

訳というか。。
 
女性は Ku Vraḥ Kañjeと子供二人 □□とその子3人、ku Mandodarī(ラーマーヤナのRāvanaの奥さんの名前でもありますが、辞書編纂者の母親という意味すらあるという) とその子 、ku Ratnaśrīya(宝 富); ku Mallavikā(Malavikāならフウセンアサガオか?) ku Sanidha(同時代と思しき碑文K562B3ではSanidda:Sanidraで睡眠あるいはPali語のSiniddha?); ku N□ Śrīya; ku ’Agat(agatiだといろいろ意味があるが休みを欲しがるとかあまりいい意味ではなそう) ku Juṅ(依存?) ku Kañjoṅ(だらしない?) ku Kvās(欠けた??).

以上ですが。
本文を見てみますといつもの、神、今回はどうもシヴァ神と思しき、に仕えるべく奉献された奴とその子らについてのリストです。が
ご覧のとおり。
女性だけです。
これは驚きですがそれだけに碑文自体が未完の可能性もあります。
つまりあとから男性の名を書く予定だったけど途中で放棄されたと。

その女性の名ですがこれも意味を見ていくと大変興味深いです。

最初の女性はVrah 聖なるという冠称をもっています。Kañjeは編み籠らしいですが。聖なる編み籠をもった神話の人物を由来としてるのでしょうがだれか現時点では不明です。時代的にも場所的にも魚籃観音てことはないでしょう碑文のほうが古いですし。さて

そのあとラーマーヤナの敵役とはいえ重要な羅刹の名もしくは何かを記録する役目を持った人の母親 of the mother of the lexicographer という解釈もなりたつという、驚くべき名でもあります。

そこら辺まではいいですがリストが進むにつれて名前も花の名前、どうやらその人の特徴、しかもあまり芳しくないそれを名にしたと思しき、と続いております。
どうやらなんらかの階層がこのリスト順に見えてくる気がするのは私だけでしょうか。


 そして時代考証が不明ですが人名中に引いたK.562をもとにセデス先生は同時代であろうとされたのかもしれませんがそれなら6,7世紀ということになりますが確証はないでしょう。

このK.562はちょっと離れたTa Kaev州の丘から出てますが、この碑文は長く、リストも相当な数記載されていて、女性が先に記されています。

そのことからこの碑文も女性を先に書いたところで、どうも途中で放棄されたのじゃないかという推測を可能にしております。

しかし次回のまとめで述べますがこの寺院が現在、地元でPrasat Srei(女性の寺院)と呼ばれていることと微妙にシンクロしていることを思えば、もしかしたら当時女性だけがこの寺院に仕えていたかもしれないというまあありえない空想で時間をつぶすことができます。


いずれにせよ単なる神にささげられて仕えた奴僕のリストというありがちな碑文ではありますが、その名などを見ていくと、もしかしたら隠された事実が分かる可能性がありうることを指摘しておくにとどめつつ、さぼって放置していたこの一文を終えたいと思います。

参考は前回同様
1.G.Coedes ICⅡ pp92-95,1942
2.CISARKさん
3.SEA classics KhmerP.Jenner,2010
今回もサンスクリットやクメール文字の英字記号表記にあたっては
4.Sanskritdictionary.comさんをフル活用させていただきました。
5・Parmentier,H"LART KHMER PRIMITIF" tomer primier pp212