カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

番外編 台湾 烏來地区の颱風被害について

全くカンボジアの歴史とは関係ないので近日中にどこかに移しますが、とりあえず先の2015年台風13号の甚大なる被害を被った、台湾、烏來地区の様子を知らしめたいと思います。
追記:8月26日産経新聞でやっと報道されました。悩みましたが、それに合わせて公開しました。

それにしても日本の台風も久々に強烈でした。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

8月9日に台湾に上陸した台風13号は最適気圧900hPaと非常に強く最大瞬間風速も60mを超えていて、台湾各地で被害を出し、亡くなられた方もおられます。


今回台湾に旅行して、戦後70年の節目でもありますし、先の大戦の、特に南洋、地獄のニューギニア島にて旧日本軍に献身的に協力してくださった旧高砂族(この呼称は不適切でありますが)の慰霊塔が、タイヤル族の居住地でありその名も温泉という意味の山間の町、烏來(ウーライ)にあることを知り慰霊のため訪問してみようとしました。

8月17日
しかし台風はこの烏來に深い深い傷跡を残しておりました。その様子を紹介してできたら何か手助けできることはないかと模索しております。
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本来台北からは路線バスが地下鉄松山新店線の終点新店駅経由、ないしは新店発で烏來まで往復しているのですが、途中、烏來の6kmほど手前、確か清水寺という名前の寺院がある町で、ご覧のマイクロバス(ここからは無料でした)に乗り換えとなり待ち時間も大幅に増えました。理由が分からなかったのですが

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このようにバスが通れる道がここから先破壊されていて片側交互通行の箇所があるためでした。

よく下調べしてたらよかったのですが思い立って行ったのでこんな調子です。
徐々に道路の両脇に崩落や岩の落下、そして温泉街から流されてきた寝具などが散在して片づけられており
災害の凄まじさを想像させます。
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帰りに撮っております。

そして烏來の町に来るとここはもう救護の軍隊、災害対策本部、警察などで慌ただしい状況でした。
山間の美しい温泉街である烏來ですが
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ご覧のように川面から10m以上の橋の欄干や旅館の一階部分が浸水して掃除されていました。
旅館街を復旧作業のため兵隊さんたちが整列して奥の道の方へと進んでいて列に向かって通行していたスクーターのおじさんなどが「辛苦了!(ご苦労様です)」と声かけていたのが印象的でした。

さて町の南はずれ、本来ならトロッコ列車が森の中を走って楽しくもさわやかな観光気分を味わいたいところでしたが
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当然こういう状況です。それどころではありません。このトロッコ列車2012年にやっと前の台風から復旧したというのにまた大変なことになってました。
林道を慰霊碑方面へ、これはとても無理であろうと思いつつも歩いていくと。
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途中でスクーターできたおじさんが何やら私に叫んでましたが曖昧なジャパニーズスマイルでそのまま歩いて行ったところ。
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画像回転させ忘れました。

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おじさんもここにいましたがご覧のように林道と、トロッコの軌道ががけ崩れで谷底へと落ちていました。
復旧作業されていましたがこれはとても行けそうにありません。
いけそうだとは思っても行ってはいけないでしょう。

ここで諦めて山に向かって合掌して戻って参りました。
さて町に戻ってみたものの、烏來に到着したときから川岸に気になるものがありまして。

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無料の露天風呂です。遠目で見てたら水着を着た人々が入浴しているように見えます。
これは行かざるを得ません。

どこから入るのかしばし迷い、橋を渡ってセブンイレブンの先に立派な川辺への降り口を見つけましたがここも水没後でドロドロでした。

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このように地元の方々が水着姿などで、その実、修理をされていました。
ただ作業するだけでなくときどき入って遊んだりしていて和やかでした。
さらに到着するやおばちゃんにやかんのお茶を勧められ、どうみても昼食に買われたであろう外帯のビーフンの入ったビニール袋までもらいました。どなたか知る由もありませんがここで感謝いたします。

晩御飯代わりにホテルで湯煎であっためて食べましたが結構ボリュームがあっておいしかったです。こういう屋台的な味は再現してみたいものですが帰りの空港で持ち込みにしていた沙茶醤の缶を没収されたのが無念です。

しかしこのような災害に遭っても呑気で能天気に訪れた私をもてなしてくださるご厚意、感謝に堪えません。

それはさておき。

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川に面した露天風呂、何か所かありますがここは水没して逆に無事そうでした。
温泉マークを途中でもよく見ましたが油屋熊八氏の偉大さがわかります。
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簡易脱衣所もありまして実はこれに備えて水着も持ってまいっておったのですがさすがに修理されてる中堂々と入るほどの鉄面皮ではございません。

作業の邪魔にならぬよう足だけめくって浸からせていただきましたが、そっちは熱いとか教えてくださったり、足入れるとさりげなく水で埋めてくださったりとか言葉はあまり交わしませんがご親切に涙が出そうになりました。

あまり邪魔しては悪いので一礼して去りましたがこの状況はお伝えしようと思いまして敢えてここに書いております。

さて烏來の、本来のバス停も散々な状況でして作業に従事される方の弁当などが置かれていましたがゴミも流れてたまっておりました。
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烏來の復興も相当時間がかかりそうです。なんとか支援できないものかと思案しております。
そして本日になって産経新聞台北支局が取材に行って、高砂義勇隊慰霊碑の惨状を報道しましたのでこちらも義援金募金活動が始まるそうです。李登輝友の会さんで調べて見られてください。

いずれまた再訪したいと思います。