カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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Thma Puok 昨日の続きである。
Prasat Kok Romiet IK.834 途中のあぜ道で昨日disった天罰かiphoneを落とししばし戻るがあぜ道に落ちていた。さすがiphoneさまです。とかおだててたらケースのボタンがむしり取れてしまった。実にどうでもいい話であるが一基のレンガ塔と碑文4行。

村人が西欧人がこの前来たといっていた。
△修凌親遒Tuol(マウンド)が私、気になります。で帰りがけ行ってみたらまたです。夥しい土器片や白い陶土の土器や黒釉の厚手の大型であったろう土器片、そしてりドヴァンから変遷していく過渡期の釉薬を肩にかけた土器片、さらには宋の磁器(アンコール城内でも見られた蓋物や青磁もある。

つまりこんな場所まで中国から陶磁器が届いていたということでその道がどうつながっていたかは分からないが1000年ほど前の人々の生活の跡が残っていることにしばしロマンを覚える。が、カンボジアではあちこちにこういう丘はあるという。

Vat Kok Romiet バンテアイスレイからクリアン様式の塔頭と砂岩基壇、リンテルの残欠で、遺跡がどこにあったかは不明だがわずかとはいえ見事な遺物がみられる。

Prasat Kasen グーグル先生ではVat Kasenと書かれているが公園化した見事な遺跡のPLANで珍しく遺跡が公園化しているように整備されている。お寺はない。環濠の水はけっこうきれいためひっきりなしにトラックが水くみに来ていた。乾季でもそこそこ水あるし濁らないのでそれなりに湧いているのかもしれない。
一般的には南側にある偽というか新しいガネサが有名かもしれない。

Vat Po Veal Thama Puok こちらの伽藍もなかなかではある.
残欠少々ラテライトが結構見られる。

Vat Rolum Chrei ここはすばらしい。カンボジア人の二人も感動。
カンボジアの寺をいろいろ回ってきたがアンコール期ブッダナーガ、しかも高さ2.5mはある、をご本尊としているところはなかった。Bayon期であろうと思うがそのお姿は美しい。寺を建築中である。Guide archeologique du Cambodgeに載ってて、行ってよかった。日本なら間違いなく国宝級であろう。Zheen?
と聞かれるがまたタイ人にも間違えられる。連中は見に来るのだろうか。それを警戒しているようであった。

Banteay Chhmar
⓻Prasat Ta Prohm 本院には入らず付属寺院を回って時間調整している。4面仏塔が比較的残っている。

環濠も水をたたえきれいである。しかし木で必死に崩落を防いでいる。本院の2004年の悪夢は避けたいところだが。
Prasat Phlangすぐ北だが入口としては東から入るらしい、
つくりは施療院と同じだが用途含め不明

Prasat Yeay Chou ここはラテライトメインのつくり。
Banteay Chhmarの付属寺院ももう看板が出ている時代になったが荒れ果てたままで石も浮いているところがあるし危ないかもしれない。さすがにここも訪れる人がいる形跡もないのだが。

正直付属寺院はPLANは代り映えしないのでなんか飽きてしまった。というか残りはまた本院見に来たときにしておこう。
バンテアイチュマーまでの道は昔と違って、そしてSamrongまでも4年前とすら違って完全に舗装されている。シェムリアプからならたぶん市内を抜け出すのに一番時間がかかってイライラするかもしれないが2時間半くらいでつけるであろう。

Kok Moun
なつかしいPrasat Si LiemやPrasat Seongを横目で見ながらこのようにあっというまにKook Mounを通り過ぎて
Neak Ta その前にPrasat Seongの手前でNeak Taを祀っていてクレアン様式のナーガで
と台座が祀ってあるのを目ざとくみつけて地元民としばし話をするがたぶんPrasat Seongからもってきたようだ。

Tonle Sa(Sor) 4年前Samrongから国境の遺跡へ行くための分岐で往来したこの大きな池も実は遺跡であるるがそれを示す台座などがNeak Taに祀られている。そのNeak Taがある南西角をPhimaiへの王道がかすめているのだ。それを見ようと思ったがさすがに夕方でもありよくわからなかった。
Spean Khmengという橋も近くにあるが。また今度。

その後4年前と同じホテルについて4年前と同じくクメール陶器をにらんでいたらいろいろと見せてくれた。が、ここから先はとんでもない応酬となりますゆえここまでにしておきましょう。