カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2017年乾季の旅 2

2/5 SvayRieng
Prasat Bassac(Prei Bassac) IK68 グーグルマップで位置がずれてたので報告しときましたが、すぐ修正されてました。
やればできるじゃんw。昨日まで南の空き地になってました。てわずかな差ですが。

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実際EFEOの描いたPLANは確認できなかったが東に延びるレンガの参道や付随建造物、そして夥しい陶片など確認。

Vat Serei Sophea①の南西の寺で、CISARKさんには①③の説明には出てくるが寺自体は何もない。
西に古い池はある。
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③Vat Koh Chong (Toul Ta Chongと思しき寺→違いました)
別の場所かも、と日誌で書いた通り、
Tuol Ta Chongの位置は、CISARKさんで調べたら違ってました。Bassac(Basak)の南西で②の北西の、運河沿いの
ここら辺か?

しかしここももともと水に囲まれた島状の土地だったわけで、レンガも少量落ちてましたし、
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陶片を確認しました。
逆にCISARKさんには載ってません。

Vat Preah ChhlakIK70.13
石材が僧坊の植え込みのあたりに2点。ほかは発見できず。

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文化局にも行きたかったが日曜日なので最初から断念。
次回は行けたらよいが。

Vat Banteay(Banteay Chak) ,Romduol IK69.02
砦という名だが遺跡の痕跡は見当たらず。CISARKさんによると堂内に古い木造の仏像が放置されていた模様。Neak Taは見たが確認できなかった。
→と思って帰国して写真見てたらレンガを撮ってました。寄る年波のせいで物忘れが激しくなっております。レンガと言ってももしかしたら新しいかもしれませんが。

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それにしてもこのあたりCISARKさん復活に気づかず通信をマップに全振りしていたためもったいないことしまくってますね・・・教えていただかなければこの先もっとろくでもないことになっていたでしょう。
改めて感謝をいたします。

Prasat Chea Hao IK908 乾季なら四駆で何とかたどり着ける。

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川の向こうはヴェトナム。遺跡でなく東口の丘を降りたところ。足元には陶片。水辺だし当然のようにある。

Vat RomeasHaek IK70.14 寺自体は同名のそこそこの村の中心よりずっと北の、離れた寒村にある。その理由は遺跡があったからであろう。下手すりゃ扶南から?SPK PK STYLEの神像数点出土。
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寺には何の遺物も見つけられなかったが、本堂とは別の、画像の建築物はCISARKさんの調査時から建築が止まっている?



PreyVeng

Vat Po TorngIK67.19 torngは木の実が房についてる様らしいが。
寺自体に遺物は見いだせず。至近にあるという、
⑨Neak Ta Po Neary IK67.2 ここも場所違って到達できてないと判明。Tuol Vat Chasという名で尋ねるべきだった。CISARKさんによると⑧の250m北西。ここは寺の南隣の学校の中である。日誌では間違ってると言いましたが、遺跡地図のほうが正しかったというオチでしたわ。
⑧の寺の坊さんが言った⑨、ではなかった謎の塚
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しかしここより新しく建てたビシュヌ神もどきのほうが信仰集めてる様子だった。

Vat Tnoat 正式名称はVat SeeRaa Monkol SattaRam Tnoat IK67.18(抜けてたので追記)

ここも何の遺物も見いだせず、⑨みたいに南隣の学校みたら古い池とその西側に似たような、しかしもっと荒れた塚が。
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何の意味があるのか、そしてなんで忘れられたのか謎である。




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Prey Veng Sithor Kandal

Vat Prei Daeum Tnoeng Kaan Tbong IK67.14
3つ同名の寺院があるようだが、北の寺院が祭りで大賑わいだったのに比べると、南のこちらは閑散としていた。
遺跡はこちらのほうらしいが池が北東にあるパターンでそれ以外は、遺跡を髣髴させるものはよく分からなかった。

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CISARKさんも石材とレンガのがれきぽい物を載せているが、画像の←の木のあたりだったようだが気づかなかった。このあたり今回はわたくしの踏込みも、甘いですわ。

Prasat Prei Chong Srok IK67
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整備して観光地化しようとしてる雰囲気は満載であったが、いかんせん遠いせいか誰も来てなかった。整備のせいで遺跡としての雰囲気はいまいち台無しである。7世紀プレイクーメン様式の古い、しかも保存状態のいい未完の寺院なのだが。

何かやってるときは賑うのかもしれないが。

Preah Saoch IKなしCISARK4670

その分、近くのこの丘の聖域の雰囲気はよかった。北の寺の小坊主さんの昼寝場所にもなっていて、木々にハンモックが多数吊りっぱなしになっていた。

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 in situで残るヨニリンガは、珍しいかもしれない。

Vat Svay Chi Chrei IK67.15
池しかわからず。

ここらへんは近くのChrei Khmum地区とか,お寺で、しかも石材どころかリンテル、それもサンボールプレイクック様式からプレイクーメン様式の、がある寺Vat Prasat 3455とかあとで見ると本当にいろいろあったので、再訪したいですね。

Kompong Cham,Tbong Khmum

Preah Theat Khtom

Preah Theat Khtom IK.120へ。碑文K.110
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碑文が現地でこのように大事に保存されてるのはいいことでしょうね。
あとPLANがどれも2重壁になってるが、後世かもしれないが3重壁になっていて、東の前衛も3段の建造物が構えている。いずれまたまとめますがどうなるか。

Preah Theat Trapeang Chrei IK.121 やっぱりCISARKさんでもここでした。
CISARKさんもVat Tuol Khvavという寺の画像のみですが。

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寺の北門の外、池の南西で。

Aymonierだけが、実見して寺院のPLANを描いたようでそれを後世踏襲してますが、実際どうなのか?と思ってましたが、寺院の痕跡を見つけることができたのは幸いでしたわ。
このあとこのあたりの村の家など覗いて回りましたが何もわからず不審者として日本なら一撃で通報されたことでしょう。