カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

話が違う

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ベンメリアの先の村khvavにまた行き、2月に世話になった雑貨店でバイタクを頼み、Prasat Boeing Sadat Viech及びその北の遺跡Prasat Chhuk Preah Theatに行ってもらうが後者は知らないバイタクばかり。となりの薬局のおじさんは知ってるけど行けないと言いつつ説明してくれるがまた2月の再現でなかなか出発できない。
取り敢えずSasar Viechに行って寺で聞いてみるということで出発したが。
やはり雨期で道が水没しているところも多くさらに往来するトラクターにChhuk Preah Theat の道を聞いたり追走したり川の渡渉に便乗させてもらったりで捗らない。結局さきにChhuk Preah Theat 目指す話になり、
Sasar Viechへの分岐を過ぎてグーグルマップで見れる西に1つ 東に南北2列のTrapeang が見れるがその南のどこかにあるはずだがわからない。

Choam Ksantですっかり信用失墜したわたくしのグーグルマップにガイド氏は定跡通り池の西の方に遺跡がないかチェックに行く始末。
近くに点在している作業小屋の一つのところで一旦待って、バイタクおっさんが先だってから世話になってる、先ほどまで同道していたトラクターの方に聞きに行く間、近い西の池に行って見たらやはり南に少々陶片を見いだした。そうこうしているうちにおっさんがもどり、東の森の農道沿いにあった。

Prasat Chhuk Preah Theat
主祠堂だけ砂岩で両側と北前衛の経蔵というか祠堂はラテライトで崩落も激しいが藪に飲まれてあまり見れない。おっさんたちが藪を切り開いてくれありがたいが主祠堂に入って破損した後壁を見てたらあっという間にあの凶暴な赤蟻に文字通り全身たかられ噛みつかれまくる。
全員で振り払ってもらい藪のなかの北祠堂は諦めて引き上げる。
東側の農道に陶片多数。というか途中にも落ちていてこの一帯がそれなりの集落であった可能性を示唆している。
北東に小さな池がありこれだけだとバイヨン時代のようだが、やはりベンメリアと同じ様式のようである。

ここまでは良かったがバイタクおっさんどんどん帰っていく。とうとう表の車道まで戻ったのでちょっと待てや、と止める。あれだけ散々2箇所近いから回ると言ってその約束で来て昼飯どきを過ぎたといえ勝手に帰るのはどうか?
ガイド氏もクレームしてしぶしぶSasar Viechに戻る事に。
Prasat Sasar Viech
先ほどの分岐から先も数百メートルも道が水没して脇のあぜ道を歩いたりしたが40分ほどで到着。
ここは寺もあり先日日本人の女性二人組がきたとのことで、グーグルマップでももう載ってるくらいなので特には色々言わないが、住職さんが日本人と言うと森を守って下さいと言われたのがちょっとずしりときた。
ここでも外国、特に中越カンボジアの森を乱開発して破壊しまくっていて、日本は自然保護を進めてくれると思われているのだ。Aeonグループの宣伝効果かもしれないが。JICAとかインフラ整備に尽力してるのはよく見かけたが、どこの部署がやってるか知らないけど日本のお役人さんはカンボジアの人たちに末永く役に立つ形で協力してほしいもんです。

特にまともに働かず下らんカルト活動ばかりしてるがいm(略。
住職さんに聞いたらChhuk Preah Theat はこきから近いと言ってたので(グーグルマップでも2kM弱)こっちから先に行くべきだったのではとも思うが、トラクターの方に会わなければ難しかったかもしれないのでなんとも。
Vat Preah Theat Khvav
再訪だがここはやはり複数の年代のシンハや、残欠が多くラテライトの塔の保存状態が良く修理したのかもしれないが天辺の塔頭まで残っている。ちょっと寄るつもりが長居して祠堂内を碑文共々撮影してたら母娘二人組が祈りにきたので場所を譲る。暗い祠堂にろうそくを灯し祈りだすがわたくしが石柱や残欠を撮るシャッター音が女の子は気になるようで振り返るので邪魔せぬよう引き揚げた。

帰りに夕暮れで無人のベンメリアを通り過ぎるときいつも一瞬こっそり入ろうかと思いつつ、まあそう言うインチキは流石にだめだなと思うが、一瞬で雷雨にせこい考えも流し去られる。