カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

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予約したこっちが後になりましたね。

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遺跡には行っておりません。
Ven Saui
フェリーで中国人村に渡ろうとしたらなかなか待ちそうで、結局お決まりの観光コースの、小舟チャーターして上流にあるカチョ族の村へ墓をみにいくことに。
今まで散々遺跡の上に墓地ができてたのを見てきたので、今更ではあるが太古からの死生観や文化の残滓、シンクロニシティを確認するいみはあるだろう。
小舟でトンレセイサンを遡行しつつ流速が速いので縁から跳ねる水しぶきでびしょ濡れになりガタガタ震えるほど、ちと寒い。が、lonely planeで書いてあるような排他的な雰囲気はあまり感じず沿岸のおじさんや子供がニコニコ手を振ってきたりする。そうこうするうち1時間くらいで村に着いた。村の西に観光用の墓があり装飾が目立つ。
で、見学は終わりである。墓守がいてお金を払うらしいが無人である。
(後で帰りに船着場で徴収された 上陸時か帰る時に払う村の入場料らしい)
他に何かないのか、ラオス式の高床式の米倉、これは明らかに日本に共通するーもあるが別段珍しいものでもない。

村人に聞いたらもう少し西にもkmaoui=幽霊に祈りを捧げる場所があって我々も行ってよいとのこと。
で向かう。多分ここのことを歩き方ではしょうかいしていると思う。農道をすれ違う村人ーそのほとんどが、森に芝刈に行って薪を担いで帰る婦人方で男は何をやってるのか不明だがー彼女らに聞きつつ森に入ると村人がたくさんいた。
新しいお墓を作っているところで、明日=今日お葬式をするらしい。やはりかなりフレンドリーで、
なんでも3日間続けるらしくいろいろ教えてもらったり、日本て遠いのか?と尋ねられたりしてちょっと嬉しく思うのはなぜだろうかw

ともかく興味深い話を聞かせてもらってお墓の装飾の意味も知り、彼ら死生観の一端を知れたのは良かった。もちろん部外者を拒否する集落もあるだろうし彼らが大事にしていることをないがしろのはしてはいけないと思うが。

ここでの話はまとめるかもしれないが歴史探訪からは外れるので思案中である。

ただ一つ言いたいのは、映画地獄の黙示録の影響か、葬式時に水牛を屠り生贄にするなどと歩き方に書いてるが、

聞いたらたんにみんな集まるので牛を潰してみんなで葬式中食べるためだけ、とのことで生贄何それ?て感じだったのは彼らに対する誤解を解くため声を大にして言いたいですよ。

その後は中国人村(下の方)に行ったりしたが多分フェリーの対岸の方が家が大きかったのかもしれない。学校や祠を見たくらいでグーグルマップでChinese village と表示が出る場所はほぼラオス人村ということくらいである。

TaVeng
Virachey 自然公園保護区の入り口でもあるこの村は現代史的には意味がある。
フランス帰りのポルポト、イエンサリが60年初頭、最初に潜伏した村でlonely planetでは電気が早々に通じていたらしい。誰が連中を支援していたのか?
しかしいまは普通の村で中学生が放課後の校庭を同じユニフォーム着て男女とも走ってサッカーの練習してるのが目に入ってなんだか平穏さに涙が出そうになたりするのみである。

Veal Ram Plangほんとうに溶岩で草木が生えていない。が、有名な観光地で特に述べるほどでもないかも。噴火口なり吹き出し口を探して見たが暗くなってきた。

晩飯はウロウロして入った食堂が何とまあWWFにケンカ売ってんのかて感じで
thlaen 昔今はなきシェムリアプのレストランで食べたトッケーのようなのよりは身も硬くて美味しい。

Chmar Ba のスープ。店のおばちゃんがわたくしを厨房に連れて行って味見までさせるほどおすすめの一品。猫じゃない。ちょっと臭くて苦い 薬になるらしいが。アンモニア的な微臭と獣臭さ。そこに深みがあるのはわからなくはない。日本語に直すと炎上不可避でしょうねええ。
sac chlusこれはいつもの鹿だがもうChoamKsanでも見かけなくなりました。
などいただきました。