カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

2/7

2/6に
ラタナキリ州文化芸術局に行って入ったらいきなり壁に州の遺跡地図、各地区ごとの地図が並んでた。
その数7箇所。
Prasat Preah Put 以外はCISARK さんにも登録されていない。まあ最近更新されているのかわからないし、前書いたように消えた場所もある。
なかなかもどかしいが各州と連携して更新して欲しいもんですね。まあ厳しいでしょうけど。。
さて地図をにらんで唸ってたら職員のあんちゃんが二人ほどやってきて、本日は遺跡の担当者は出張で不在とのこと。
だが、Preah Put に行ってきたことを言うと、
驚いていた。その理由は後になって分かったが。
ガイド氏が聞いたところ少数民族に襲われる危険があるらしい。と言うのも、密林で少数民族を中心に木の違法伐採が今でも続いているのは現地でもチェーンソーの音が聞こえたたしどこでも同じような感じだが、
カメラ持って森をうろついてるとジャーナリストとかと思われて下手すりゃ射たれるらしい。
Kalay TaVangでもPreah Put で道すがら出会った人も別になんということはなかったが。

彼らが神経質になってるのも、つい先週、隣のモンドルキリ州で違法伐採を取り締まろうとした警察官が二人、森で射殺されたという。
そしていかにもカンボジアらしい呆れた話だがなんとまぁ犯人はその被害者の警察官の上司である警察署長、の手下だったらしい…。

それと遺跡への入り口の中途半端な場所に看板立てたのも文化局な訳だが、遺跡周辺を保護エリアにしている=少数民族からすれば邪魔してる彼らは目の敵にされてるらしい。

それであそこに行くときは警官同伴しているという。この話しの後じゃ警官連れの方が不安だがそれは置いといて、新たに見つかったこれらの遺跡の話しを聞いてたらスマホの写真を見せてくれる。

Prasat Yak Nang という。
これはびっくりした。
結構近くまで車で行って歩いて舟で川を渡り 着くらしい。どの辺か
グーグルマップで検索するとこれまた驚くべきことに載ってた。名前が違うが。

今から行こうかと思ったら現地の少数民族の遺跡管理人がいて案内のため連絡してくれるが、当然カンボジアでもそこそこの奥地で繋がらない。まあいきなりは無理で明日に行くと言う話になり連絡ついたらガイド氏に電話すると言うので今日は観光である。

その後連絡がついたが。

・文化局のあんちゃんが自分と部下と二人一緒に行く。現地で昼飯つくってもらおう。
8時に待ち合わせして一緒に朝飯食おうと言ってる、とここでガイド氏が嫌な顔する。
絶対たかろうとしてる、一人ならともかく二人はどうなのか?という。

それくらいはまあカンボジアに限らず中華の影響受けてるアジア圏では一番金持ってるのが奢るのがルールみたいなもんだし彼らよりも金持っている、と思われてる日本人であるからにはしょうがない。と言うが…。
運転手氏がホテルに朝食ついてたと言っては?
というのでそれで断って各自朝食は済ませてもらうことになってガイド氏はほっとしてるが、こういうことで変なことになりうるのは経験済みであり逆に不安だが…。


2/8
実際ラタナキリには朝食付きのホテルは少ないようだが言ったからにはホテルで飯を食わないと嘘になるので、食べる。で朝8時。

待ち合わせ場所の観光局前に誰もいない。しばらく待っても来ない。電話したら
自分は今日忙しくなって行けなくなったので部下だけ行かせるという。まあ朝飯の恨みだろう。まあ、こうなる。

さらにその部下も来ない。
観光局の近くに住んでるのでガイド氏が家に行ったら昨日森に行って帰ってこないという。
少数民族に襲われたわけでもないだろう、多分。まともに連絡取ってなかったんだろう。

で埒が開かなくなった。

ある程度案の定て感じだが、ガイド氏のほうが辟易してる。
とりあえず文化局へ行ったが昨日の連中は来ていない。実際忙しいのか?
他の部署の人などに聞いてもわからないが、赤ちゃん連れで出勤してきたご婦人が遺跡のレンジャー見たいな担当者に連絡してくれるという。

で、その人が同行してくれることになった。
このご婦人が一番有能だった気がするがスヤスヤ眠る赤ちゃんを抱いて出勤出来る点はカンボジアの方が日本よりいいかもしれない。

待ってるとまたいろいろ人が出て来て、昨日の朝写真に写ってた偉そうなあんちゃんも来て1人で喋リ倒す。先月行ってきたらしい。結局ぱっさんという担当者のおっさんがやってきて出発したのは9時半過ぎだった。普通の農民みたいな格好だがハットにあの遺跡地図でおなじみ芸術文化省のジャヤヴァルマン7世マークがついている。パッtさんは遺跡に行ったことないが少数民族の案内の連絡をしてくれる。

Ou Ya Dav過ぎて右折し、ジャライ族の、Ten Ngol村でまた一人案内人を連れて行くという。待ってる間横にある店を覗くとハローと声かけられる。
本当クメール人より少数民族とされる彼らの方が物怖じせずフレンドリーである。

もう一人村の若いあんちゃんを乗せて再出発。文化局の連中がもし二人きてたら載せられなかったのでかえって良かったような。

途中までは開発されたゴム農園のため道がそれなりだが脇道にはいってからは久々のダンシングロードでグーグルマップの道からも外れ別の道を行く。
途中バイクの荷台に直径3、40cm長さは2mこえるくらいの木材を積んで走る連中とすれ違うが、別にトラブルにもならない。
車の右の後輪が外れかけた頃やっと雨季には湖になる低地の横の文化局の管理小屋ぽいところに着く。小屋の横にも木材が並んでる。
と今度はまた若い兄ちゃんが二人、一人は同じく芸文省の帽子を被った遺跡の管理人でここから川岸まで二人がバイクで送って、川岸に繋いである小舟で渡して、遺跡まで連れて行ってくれる。
とても美しいSrepok川の砂州から乾季で流れも静かな中水辺の水牛のカウベルと櫂の水音が心地よい。

がそんな太古から変わらぬであろう浪漫に溢れる情景でも、舳先に乗ったもうひとりの兄ちゃんが俯いてスマホをいじってるのがザッツ21世紀、て感じである。

対岸の崖をよじ登って川沿いにしばらく行って岸から離れるとレンガの祠堂が見えた。グーグルマップで見れるのでアレだがまた帰国後にでも。

硬い表情の二人だったが一緒に記念写真撮ったりしてたら打ち解けてきて小屋に戻ったら、残ってた連中に、さらに若い赤髪に染めてライダージャケットぽいのを着てホンダのバイク150ccのかっこいいのに乗ってきたスカした兄ちゃんもいて、酒盛りしてた。

酔っ払ってまた気が緩んで色々質問コーナーになったので、うちの県でホンダのバイク作ってるなどと適当に言ってたらすごいと騒いでくれたり、推定数百キロはありそうな木材をバイクで運ぶがホンダのは強い、ただしシャフトや車輪のスポークなどは補強する、という話や、みんなのスマホや我がカメラでまた大撮影会となり日本製のスマホはすごい(すいませんけどmade in USAとChina デス)カメラもすごい(ニコンもレンズなど部品はタイ製)とまだ日本の落ち目の工業製品を褒めてくれて面目無い気分である。一応説明しといたが伝わってない模様。全員と握手会で解散となった。
勘違いしそうだが、
今までの日本の皆さんの培って来た積み重ねが彼らにファンタジックな良いイメージを抱かせてくれてるのは忘れちゃいけないのと、それをぶち壊しにする振る舞いは絶対しない。

帰りはグーグルマップで辿れる道を行ったがこっちは悪路の中の悪路で10年前大プリアカーンに行った時以上だった。川を渡らないと行けない。まあバイク、もしくはたまに西洋人がチャリでやってくるらしいがそっちの方がいいだろう。
あと最後のSrepok川を渡る舟は文化局が遺跡管理の為に用意したので自由に使っていいそうです。しかしちゃんと係留して流されないように。
さらにカンボジア正月である4月ごろには完全に川が干上がるらしくそのときは近隣の住民などが遺跡に遊びに絵結構行くらしい。

さてあまりの悪路に運転手氏もキレ気味だがなんとか元の道に戻り、村のあんちゃんとも握手して別れ、昼飯どきは過ぎたが時間まだある。てことでもう1箇所くらい行ってみることに。

Ou Ya DavからBor Keo、今は後者の方が宝石採掘で栄えているらしいーそこで昼食後Samot Leu へ。そこでまたパッさんが地元の管理人に電話するが繋がらない。

ので遺跡を知ってるとかいうあんちゃんをスカウトしてきた。
がすっとぼけたことにあっちの山の向こうにあるよと言いつつその山に並行して進むように案内する。

あんたどこに連れて行く気やと言ったら、
カメラ持ってるから森の視察に来たと思ったなどという。
全く伝わってなかったじゃないか。

Pnov Wak Peung

結局そこそこ戻りカシューナッツやゴム農園の中通って丘を下りて登って川を渡ってそこそこ歩いてついたのは一見古墳のように見える塚、のような結局自然のマウンドで、プウンという人のお墓と、このすっとぼけたあんちゃんふくめてTamphun族に古くから言い伝えられている話しらしい。頂上に盗掘跡があるのであんちゃんに掘ってなんか出て来たか聞くが岩が出て来ただけとのこと。

周りにこれより低いが傾斜に、水の浸食で残った隆起がありここもその一つでたまたま高い地形だったのでは。ただ本当に墳墓かどうかは意味がない。

そう言い伝えられて来たことに意味がある。

とは言えあまり聖地というわけでもないようだが。
もう1箇所似たような場所があると地図には載ってたが場所は知らないというのでまあこれで終わりにした。
帰りに畑にペットボトルを捨てるガイド氏に運転手氏が拾って文化局共々ツッコミを入れてたのを見て感心した。
ゴミは溢れているがこういう意識の高さはラタナキリでは少し垣間見れたことが多かった。

日本、我が県でも平気でゴミやタバコやファストフードのゴミを平気で道端に投げ捨てる輩が多く呆れる事は多々ある。

帰りにカシューナッツ農園で待ち伏せしてた遺跡管理人が心配してか、何者だとか問いただしたがパッさんが文化局で、あんたに連絡して電話してのに繋がらなかったんだ。というと丸く収まった。
まあ各地に現地管理人がいてそれなりに機能していることはいいことだと思う。

帰りの車中でパッtさんに感想聞かれたりと実直な人で、プレアンコール機の美術様式と今回の遺跡の特異性について喋り倒していたらベトナムに近いしチャンパの影響もあるだろうと示唆したり、見かけは農家のおじさんだがなかなか身のある話しができた。

そのチャンパのような、プリミティブな印象の外壁の意匠に目が行きがちだが基壇の美しい凹凸の凝り方は間違いなくクメール文化のものだ、というと嬉しそうだった。
結局今日は彼のおかげによるところが大で感謝に堪えない。

昨日のホテルは本日満室と聞いてたので前のホテルに戻ったらスタッフがやんややんやの大騒ぎで迎えてくれてやはりフレンドリーな少数民族が多く、いいところだと思う。

で本日のおすすめ夕食は
Sampoc 都心でもうろついてるらしいがこっちでは珍しい、鼻は白くない、どう猛な顔をしたジャコウネコ科の彼、またおばちゃんが厨房に連れて行って無念の表情の彼の顔をニッコニコで見せてくれる。

Kanteai まあどこでもあるスッポンのスープ
こっちの亀は肉が肉肉しい。が疲れてヒアルロン酸が枯れつつある軋む体にはよさそうである。
といつもの鹿である。

そろそろメコン右岸に戻らなければ。