Prasat Preah Neak Buos 5回目でも終わらない
まずは出典 http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k98802n
より
??tienne-Edmond Lunet de Lajonqui??re"Inventaire descriptif des Monuments du Cambodge" tome.Ⅱ
のFig.10を改変した、Prasat Preah Neak Buosのplanをどうぞ。
より
??tienne-Edmond Lunet de Lajonqui??re"Inventaire descriptif des Monuments du Cambodge" tome.Ⅱ
のFig.10を改変した、Prasat Preah Neak Buosのplanをどうぞ。
追記 H,Kの東側の?のところは、崩壊したレンガ塔Iと判明したので訂正しました。
合成するとき
少し縦横に圧縮して、各建造物にラベリングしてある記号をはっきりさせた(のか?)。
どうやら方位は上がやや北北東になるようだ。きれいに南北軸上に建てられていないようである。
前のグーグルの地図、訂正しても、やっぱりまちがっているということになるトホホ。
少し縦横に圧縮して、各建造物にラベリングしてある記号をはっきりさせた(のか?)。
どうやら方位は上がやや北北東になるようだ。きれいに南北軸上に建てられていないようである。
前のグーグルの地図、訂正しても、やっぱりまちがっているということになるトホホ。
ちょっとやりすぎの感は否めないがさらに 主な建材によって色分けしてみた。
この本全3巻で掲載遺跡は701に上る(ナンバリングしている。これが遺跡のNo.のもとになってるみたいだ)。
あとはParmentierのl'art khmer primitifを見てみたい。とても見てみたいが遠くに行かないと見られない。いつかネットで公開されないものかいな。
ああ行ってみたいところが多すぎることよ。
・・・
あとはParmentierのl'art khmer primitifを見てみたい。とても見てみたいが遠くに行かないと見られない。いつかネットで公開されないものかいな。
ああ行ってみたいところが多すぎることよ。
・・・
はい写真いきます。
いよいよ今日こそは寺院内に入ります。
レンガの楼門とこの石柱が、かっこよすぎである。
上の図ではSのところである。みえん。
いよいよ今日こそは寺院内に入ります。
レンガの楼門とこの石柱が、かっこよすぎである。
上の図ではSのところである。みえん。
ちなみにこの4本の石柱の右端には碑文があったが摩滅が激しく文字はほとんど見えにくかった。
これが碑文K342(東)なのかどうか?
これが碑文K342(東)なのかどうか?
左端にはなかったようだがスルーした気もするので自信はない。あったらK342(西)。
追記 ありましたがな。写真にも一部写ってますがな。。トホホ。
だとするとCoedes先生が訳出したこの60年足らずのうちになんでこんなに磨り減ったのか。
とりあえず、仮にそうとしたら時代は、西暦1015年、Suryavarman1世の勅命がある。
が、ぜんぜん違うかもしれない。
とりあえず、仮にそうとしたら時代は、西暦1015年、Suryavarman1世の勅命がある。
が、ぜんぜん違うかもしれない。
碑文の研究も後日してみようと思います。
この楼門を振り返ると
てな感じでかっこよいが、前に進もう。大分上ってきたので下は見えなくなっている。
参道を通ると(とげだらけで通れないけど)
いよいよラテライトで囲われた内壁に入る。がこれも正面の楼門からは進入困難なので西側の壁が崩れたところから通る。
やっと主祠堂やその他の建造物たちがはっきりと目に捉えられる。
てな感じでかっこよいが、前に進もう。大分上ってきたので下は見えなくなっている。
参道を通ると(とげだらけで通れないけど)
いよいよラテライトで囲われた内壁に入る。がこれも正面の楼門からは進入困難なので西側の壁が崩れたところから通る。
やっと主祠堂やその他の建造物たちがはっきりと目に捉えられる。
そのまま中へ入ると、
参道は敷石がされていて、主祠堂に延びるが東側にも石柱が立つちょっとしたペイブメントになっている。
木造の屋根が載っていたのではないかと思われる。
最初の図=planをご参照あれ、
右下Rは経蔵?が2棟、その前に道がみえるが、それがこれである。
ラテライトの柱もかっこいい。
そして
その傍ら、南端の経蔵の入り口には
参道は敷石がされていて、主祠堂に延びるが東側にも石柱が立つちょっとしたペイブメントになっている。
木造の屋根が載っていたのではないかと思われる。
最初の図=planをご参照あれ、
右下Rは経蔵?が2棟、その前に道がみえるが、それがこれである。
ラテライトの柱もかっこいい。
そして
その傍ら、南端の経蔵の入り口には
クメール美術ファンの皆様お待たせしました!
アイラヴァータにのるインドラ神のリンテルが横たわっている。石柱は未完成っぽいがともども
これはPre Rup式でよいであろう。つまり常套句ですいませんが10世紀半ばくらい。
これはPre Rup式でよいであろう。つまり常套句ですいませんが10世紀半ばくらい。
って磨り減りすぎ。。。orz
でもそのおかげで盗掘を免れたと思うとなんかよかった気もする。
よかったと思ったら今日はこのくらいにしておこうと思う(ヲイ。
我ながら引っ張りすぎであるがもっと引っ張っていく予定です。
あきれた方はお写真だけでもご高覧くださいませ。
あきれた方はお写真だけでもご高覧くださいませ。
って最後に書くなって感じだが。
本日のおまけ。
バイタク兄ちゃんの手です。いや。
バイタク兄ちゃんの手です。いや。
この遺跡のすぐ近くで仲間と掘り出したといってました。
Phum Snayもそうだったと思いますが、このダンレック山脈の直下にそって先史時代の住民は
点々と集落を構えていたようで
多分そこもそうだったのでしょう。
Phum Snayもそうだったと思いますが、このダンレック山脈の直下にそって先史時代の住民は
点々と集落を構えていたようで
多分そこもそうだったのでしょう。
バイタク兄ちゃんはお守りにしているようで大事にしてるようす。
自分の(親方?)はあと三つ持ってるといって自慢していました。
自分の(親方?)はあと三つ持ってるといって自慢していました。
参考文献
Coedes,G"inscriptions du camobdge Ⅵ,Ⅷ” 1954.1966,EFEO,Paris
Coedes,G"inscriptions du camobdge Ⅵ,Ⅷ” 1954.1966,EFEO,Paris