カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prsat Preah Neak Buos その9 Nの悲劇(手直しver)

えー。

分かってます、分かってますよー。

今日は文章控えめに、写真中心で行きますYO、メーン。

・・・いやなノリではじめてしまったがテンションが続かないのでこれくらいにして

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本日の主役はやっとktkr。
写真の中心にましますこの寺院の主祠堂である。高い、でかい。
ご覧のとおり下の部分がラテライト、それから上はレンガ、と見事に積み上げている。
すべてをレンガにしなかった分、通常より高く出来たのかもしれないが、正確な高さは分からない。
ってよく見えない。

ちょっと別方向からじろじろ見てみよう。

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ちょっと東南方面から、とげの群生に突入してすでに血まみれである。

次に背後を取ってみた。これがゴルゴ13なら殴られるだろうが、祠堂なのでおkだ。
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写真で見るといまいち立派に見えないのは技術のせいであろう。

この寺院は正面(ほぼ南面)以外を先日の図でお分かりのとおり、ラテライトの小祠堂が5基、取り囲んでいて上の写真にもちょこっと写っているが、
あまり触れることのないまま終わりそうで残念である。
いつか光を当てたい。

さて少し細部を見てみよう。まず正面のリンテルであるが
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無残である。

バイタク兄ちゃんの解説によると、タイ人が盗みにきてしくじり
壊してしまったという。実際のところは分からないが、人為的な感じはする。
それにしても大きいリンテルで、主祠堂たるにふさわしかったことだろう。
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上のほう、アイラヴァータの目がなかなかよい。
こんな目に逢ってまで笑っていられるのはえらいと思う。もっとアップの写真もあるが自重した。
追記、いまいち見えないので変更しました。。

上の小さなリシ仙?たちは明らかに近年、わざとらしく壊されている。無念である。

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地面に落ちた部分である。
なんだかKo Kerの香りもするが、やはりプレ・ループ(Pre Rup)様式である。
上に目を向けよう。
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レンガにNagaを彫ろうと思っていたようである。


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祠堂の前に並ぶ石柱、多分木造建築物を支えていたのではなかろうかと思われるが(回廊かも)
この一部に碑文があって、現在プノンペンに収蔵されている、はずだ(K.580)。

それによると、年の記録こそないが、この寺院の現在の姿を作らせたのは、やはり
Rajendravarman王の勅命によるようで、主に命じられたのは
Mratan(尊称)Vrah Guru
つまり「聖師」と書かれている。

聖師ってことは、と考えたが
彼が後のYajnavaraha(バンテアイスレイのえらい人)であるにはまだ時代が早いであろう。多分。

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これは東壁側の回廊の追加写真であるが、格子のラテライトなどはバンテアイスレイと同様である。
とりあえず言えるのはそれくらい。この当時のスタイルではあっただろう。

追記、よく見りゃ砂岩だった。。しかし格子の形状は似てますよね?(汗。


とにもかくにもRajendravarman王はかなり厳しくこの寺院をいわば増築して維持するよう命じていて、
いうこと聞かないやつは王や神への侮辱だと言い募っている。

まあ常套句だがそれだけ力入れていたって感じは伝わる。

今日は駆け足で、写真中心で見ていきましたが宣言どおり明日でとりあえず
この偉大なるNeak Buos 寺院とはお別れです。
またいずれ碑文含めて再検討というか、ちゃんとしたいと思います。

というわけでこの寺院から立ち去ります。
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第二楼門の石扉が倒れて、まさしくこの寺院の
頭文字N である。*
ああもうたまらんなんてかっこいいんだ。

しかしこれほど代々の王の庇護を受けながら時経て
現在は荒れ果てているこの寺院の悲劇の象徴でもあるような。。。


参考文献
E.Aymonier"le Camobdge Ⅱ"default
G.Coedes"INSCRIPTIONS DU CAMBODGE vol.Ⅵ"EFEO,Paris, 1954
L.Finot,H.Parmentier,J.H.Steph(translater)"a Guide to the temple of Banteay Srei at Angkor" Whitelotus, Bangkok,2000

*(Dのほうは、2007.9カンボジアのTVで朝から吹き替えでやってた。)

2.28追記 ああ!一目見たその日から、どこか引っかかってたけど、写真見直してやっぱり!

この主祠堂、Prasat Phnom Daと全く同じではないか?→ちょっと違った。
比較してみたかったが、Phnom Daの写真があまりにも少なすぎるトホホ。