カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Preah Neak Buosその10 総集編と観光案内ver1.3

えー。
長らくお付き合いいただきました、このPrasat Neak Buos 編ですが、
本日を以って第一期終了とさせていただきます。

本日はこの寺院についてまとめたいと思います。

寺院名 Prasat Preah Neak Bous(ネァkブ、スって感じに聞こえる)
    聖なる隠者の寺院 隠者とは入信して俗世との交わりを絶つ人。
    西暦700年の故事に由来か。

4大事な情報が抜けていた!私の次回探訪のために追加させといてください。
うざい人は写真までスルーしてください。

遺跡番号 No.291(E.Lunet de Lajonquiere)

寺院の概略 全体に北北東―南南西の軸上にある。正確な角度は?(コンパス忘れた・・・)

1.貯水池800mx400m寺院の南南東300mくらい(てきとー)
東側に古道  砂岩の敷石のあと、陶片など。
2.付属寺院 1 貯水池北東角にラテライト壁一辺40mの砦状の寺院。内部祠堂は砂岩。
3.付属寺院 2 貯水池南東に一辺20mの外壁を持つ西向きのラテライトの祠堂。

4.主寺院 南南西に正門
4.1砂岩のテラス 長さ100m弱(不正確)
4.2その北東側にレンガの祠堂。東向。
さらに東側は渓流。砂岩の切り出し場あり。
4.3第一楼門 ラテライトの階段状の石垣 標高差は5mほど。門の両側にレンガの建造物。
4.4第二楼門 レンガの高い楼門に砂岩の石扉(N字のとこ) 内部の4本の石柱の東端と西から2本目とに碑文あり。第一-第二間は50m弱?

これより寺院内部。第二―第三間は20mほど?
4.5外壁 一辺50m弱。ラテライトの回廊状。屋根は木造か。東側のみ砂岩の枠と格子窓残る。
4.6第三楼門(正門、っていうのか?) ラテライト製 レンガの回廊も付随。
4.7寺院内の祠堂 最低14基。A-F(ラテライト)G(砂岩?崩壊?)H-I及びK-M(レンガ)O(砂岩)、R(経蔵x2)、主祠堂(レンガ)。

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歴史(暫定的に・・・)

西暦674年 当時の王を名乗る権力者の命により、主神 シヴァパダを祀る寺院建立さる。(K.341南)

西暦700年 旧権力者のPon Myanと Pon Bhuvanadhityaとその一党がV.K.Aの尊号を持つ王CriVijaesvaraによってこの地に入り、主神シヴァパダのカルトに入信し、隠遁する。(K.341北)

西暦890年台Yasovarman1世王、CanandagiriのGanesaのアスラム及び,支配を示し自分最強と称える碑文を建てる。寺院の南西角外側で発見。(K.346)

西暦94x年推定w Rajendravarman王 Mratan Vrah Guruらに命じて寺院を増築、アスラムの建造を命じ
現在の寺容が整う?主祠堂などが建てられる。(K.580)

西暦974年9月 Jayavarman5世王がレンガの祠堂を1基西側に建てる。シヴァパダに加えてヴィシュヌ神も祀らせた?(K.343)

西暦985年 寺院地所、寺領の境界策定の碑文。当事者はRajendrasinha(将軍?),死んだRajendravarman王より租税を免除されて土地を寄進したCandrapura王女、地元の地権者のみなさん。ついでに祠堂を1基建てた。(K.344)

もうひとつ碑文K.345あるが断片で解読不能。この時代ではないかと考えられた。

西暦1008年11月 Suryavarman1世王配下の司法長官Sri Kavis'varavarmanシヴァパダ、リンガプラ
の信仰団体に寄進。王自身も寄進をする。(K.342西)

西暦1015年 再びSuryavarman1世王が配下の貴人に命じてこの寺院のため何かさせようとした。(K.342
東)
イメージ 1

ここで画像かよという声が。いえ挿絵みたいなもんです。て既出かも。。


西暦1031年(あるいは1130?) なぞの碑文と砂岩祠堂。やはり主神シヴァパダの名は見られる。

      以降の碑文は今のところ不明よって文書上は不詳。
フランスの調査については後日追加。
そして

西暦2008年2月 ワタクシ参詣(ヲイ。

現在に至る。

ということで、この年表も少しずつ改定していきたいと思いますが、こうやって見直すと。
プレアンコール期から、少なくとも11世紀まで、同じ神様をおまつりし続けて、しかも、歴代の主だった王様揃い踏みではないですか。

さらに王道がわざわざ支線を出してこの寺院まで延びていることも、もう見ましたね。

この寺院いかに重要だったかが、今更ながら確認できますね。

あとは空想ですが、
最初のほうでお見せした、王道上に落ちていた陶片、黒釉の陶片もありましたが、これは大体11世紀くらいと考えていいのではと思います。それ以前もあったかもしれませんが、大体それ以降と考えてよいでしょう。

陶片が落ちていたということは、そのころもまだこの寺院は信仰を集めていたということでしょう。
祀祭用の用途が圧倒的に多かったと考えられるから。

付随する寺院、貯水池含めて広大な敷地と参道、寺院配置を誇るこの寺院も、早いところ世界遺産として
登録してほしいと、私的には願っています。ユネスコは調査に来たとのことでした。

では、遺跡までの案内です。

Choam Khsantまでは冷房はないけど、ふつうのバスがシェムリアプから走ってました。乗ってないけど
すれ違いました。一日1便?ここら辺はバックパッカーの皆さんのほうが情報詳しいでしょう。

Choam Khsantの中心地から北東に9km弱。昨年5月に聞いたときにはバイクで2時間といわれましたが、
乾期でもあるし、35分で着きました。途中川(Ou Aban川)を渡りますので、雨期にはアクセスが非常に困難かと思われます。雨期に行かれた方の情報お待ちしております。

町を出て、写真の地図のとおり、3kmほどでPhum Ou Abanという村を通りますがここにも藪の中にPrasat Ou Abanという遺跡があります。これは明日ご紹介いたします。ついでに寄られるといいでしょう。
ただし!
バイタク兄ちゃんが遺跡など知らない場合が多々あるので、気をつけよう。

Prasat Neak Buosへは途中カンボジア特有の(特にこの州に多い)粉状の砂の道を通りこれが大変です。
やはり車でのアクセスは2008年2月現在困難だと思われます。

多分バイタクで30分もすればババンと貯水池の南西角に出てくると思います。そこから南辺にそって進みますがこのとき、貯水池の南東にある付属寺院2を私は見そびれました。要チェックです。

東南角からは北上してラテライトの土手の段、その奥の王道、そして北東角の付属寺院1に出くわします。

ここからさらに数百メートル北上したら、砂岩のテラスがあり、いよいよ到着です。
ああ、書いてるとまた行きたくなってきた。。。

バイタクは、GH(町中に3件あり、おお)や雑貨屋さんなどで相談すると集まってくるでしょう。
暇な軍人が、俺が案内するというかもしれませんが、どうか?彼がユネスコ連れてったといってましたが。予算は一日でお一人15$といってきます。値切れたら10$前後までいけるかもしれませんが
私は値切るのが下手なので。。。orz


実際ここはChoam Khsantの最低86箇所ある遺跡の中では、まあ乾期はアクセスしやすい方だと思われました(明日から紹介する遺跡のほうが遠かったです。。)

それは地雷撤去の皆さんのおかげでほとんど地雷の警告が取り払われていたからです。
イメージ 2


えー。またでました。最初にもチラッと出てきたあの赤いマーク。やはりあっちから先はいってはまずいですよね。

「あああれね。俺が立てた。」とバイタク兄ちゃん。
「ほほぅ。では地雷撤去かなんかで?」
「いや近いうち道作ろうってことになって、単なる目印。地雷は心配ない(おっみえんみーん、おっぱにゃはーてー)」*

というわけで、先人のみなさんが苦労してたどり着いたこの地も少しずつひらけて来るでしょう。
町でも観光局の設立準備をしてるそうです。

*追記 複数の地元消息筋によりますと2002年秋、地雷撤去が終わったとされた遺跡Beng Mealeaで地雷爆発、負傷事故(日本人といううわさもあるが?)も起きてますので行動はご自身でお気をつけください。なるべく踏みあとを歩くのはデフォの心得です。やっぱこれ書いとかないとまずいかな、と。。。自己規制。

世の中には想像の斜め上を行く出来事っていろいろ起こります、ハイ。


イメージ 3

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なんかわびしいので最後に主祠堂の周りのラテライト小祠堂たちで締めてみました。

明日はChoam Khsantのちょっとした町の案内と近くの遺跡について。
週末にはこの近郊の別の寺院をご紹介したいと思います。

Prasat Preah Neak Buosよ永遠なれ。。。

参考文献は昨日に加えて
といっても最初ニAymonierを読んでこの寺院を知ったときの衝撃から、このようなブログ晒すまでになったので

やぱり
E.Aymonier" le Cambodge Ⅱ"English translated by Walter. E.Tips"Khmer Heritage in the Old Siamese provinces of Cambodia" White Lotus,Bankok, 1999
はあげときます。

Lawrence Palmer Briggs"The Ancient Khmer Empire" White Lotus ver.Bangkok,1999

E. Lunet de Lajonqui??re"Inventaire descriptif des monuments du Cambodge" 以下のサイトより。

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k98797w
ただで読めるとはありがたいこと限りなし。。ちゃんと読めるのかはおいといて。

*遺跡探訪に当たって参考にさせていただいたサイトは多々ありますが、
個人様のも多く、勝手にあげてよいものか分かりませんので
「Neak Buos」で検索されてみてください。これで出てくる日本語サイトと英語の一部サイトは多分、全て見させて頂きました。



カンボジアの遺跡にまつわる
非常に役に立つありがたいサイトがいくつかあると思います。

私のブログも引っかかりますがスルー上等です。

皆さまには感謝しております。

特に他のサイト様からの文章の引用はしてませんが、もちろんこのブログ内の文責は
全てワタクシにあります。メールなどは私のIDアトマークで着きますが

ご忌憚なきご意見はコメントでもお受けします。
しかし、打たれ弱いのでお手柔らかにお願いします。
ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ。