カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Choam Khsantの町、近くの遺跡について 改

書いてたんですがなぜか消えてしまいました。
書き直すのは大変です。今日はなおざりな感は否めません。

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グーグルアースで見るとまだ画像が荒く、わけが分からない。おまけにいつものごとく場所誤爆しているよ、グーグルアース。

追記 というわけでかなり私的にはやってみたChoam Khsantの町の地図の抜粋です。
5万分の1の地図からです、著作権に触れるなら消しますのでご一報ください。
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文化省の嘱託のおじいさんを訪ねたら、遺跡について色々教えてくれるでしょう。
大体村の村長さんとか集落の長を聞いて訪ねたら遺跡のこと、知ってる場合が多いです。
しかし、あまり迷惑にならないよう行動は節度をお持ちくださいませ。
お前が言うなというなかれ。。。

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町のヘルスセンター。カンボジアでもDVは問題だ(この写真は2007.4のものです)。
ああどうでもいい情報。


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その真向かいにSokSanG.H.。地図で西側の▲。この道沿い、東に行けば新めの瀟洒なGHもある。同族経営なのでどっちかあいてる方教えてくれるだろう。さらにもう一件あると。大体15000から20000リエル
=5$と見ておけばいいけど、これはここら辺の相場では高い?

これから語ることは大切だ。心して聞いてほしい。ジャジャン。
って、食事の問題なんですが、
なんとなく白く消えてるあたりが市場。食堂があります。

なぜか大きく書いてる雑貨屋さん(G.Hの一族:薬も一応、売ってた)の字の下の十字路のところにも食堂が2,3軒あります。が、いずれも店じまいが早く、7時前にはコンビニならぬ飯屋遭難しかかります。

早めに買いに行くか、食べてしまったほうがいいかもです。あ、ビールはGHに常備してありがんがん飲みましたがつまみはありません。頼み込んで入った市場の食堂で余り物のおかずを持って帰りました。

電気が22時には落ちます。真っ暗です。星はきれいかもしれませんが、私が泊まったのは週末で、
あのDVの看板の横の広場=GHのまん前で映画を大音量で(思えばViolentな効果音だった)やってました。その日のうちには終わったようです。

あ、シャワーとかなかったです。井戸水でしたので、寒いし遠慮しておきました。暑かったら水浴びくらいですがいいかもしれませんが、日本を基準に考えてしまう人にはつらいでしょう。
私はちょっと変な感染症もらうわけに行かないので(誰でもそうだ)衛生面は気を使います。

といいつつ、加熱したものなら普通に食堂とかで食べてますけど。。。


ほかに何かあればご質問ください。こういう旅は、ほんと慣れてる皆さんにはなんてことないんでしょうね。Kulean編では別の注意事項など。。


町から近い遺跡の一部。
ついでに、バイタクの落とし穴編。

Prasat Ou Aban???町の東でPrasat Preah Neak Buosに行く途中にあるはず。
バイタク兄ちゃんに知ってるかきいたら、
知ってるってもう40分以上バイク乗って思い切り南下してますよ?
時速60km位で幹線走ってるし。
・・・
「はい着いた。」

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いや違う。

てか火燃えてるし藪だし、これ以上近づけないし。全く分からない。
ナゾの遺跡につれてきてくれたのはありがたい。
(結局、Prasat Trapeang Thnol Chhukの北1kmほどの遺跡、名前同定できず。。。)

しかし、
知らないなら知らないといっていいのに。。。

帰りに鉄橋渡って(行きも渡った)「Ou Aban!」とニコニコして言う。
ああこれは確かにOu Aban(アバン川)ですね。ハハハ。
でも行きたかったのはPhum Ou Aban(アバン村)だったのですよ。ハハハ。
_ノ乙(、ン、)_。

翌日案内してもらって行ったら町から15分足らずで着いた。
しかしものすごい藪漕ぎで気がついたらサングラスがなくなっていた。帰りは普通に獣道あった。

ここが本当のPrasat Ou Aban。
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一杯落ちてるのでレンガ塔であったと思われるが、時代とか見当がつかない。藪に覆われて、リンテルやコラムの残欠も分からず、辛うじてヨニっぽい台座をみたくらいだった。

野焼きされたらもう少し行きやすいかもしれない。

次行ってみよう。
ここも正式な名称があるのかもしれないが、
Prasat Kok Poと言っていた、とおもう。Choam Khsantでもらった遺跡リストのコピーに載ってない?

Kuleanからの幹線を町の西3kmほど戻って鉄橋渡って少し行き、北の道に入って100m。
ここが町からは一番近いといっていた。
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寺院の門扉の枠と大きめだが未完成のリンテルだけが残る。ここもその形状から10世紀半ば位か。

未完成ゆえに野仏のような神様たちがなかなか和む。。。
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・・・
和んだので、今日はこれくらいにしておきます。
これらの遺跡については分かればまた加筆したいと思います。

明日は、文中に出てきましたPrasat Trapeang Thnol Chhukについて述べたいと思います。
碑文もありますよ?