カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

クマエ・クラオムの染織 アンジャン省にてβ版

カンボジアの染織がポル・ポト時代の断絶を経て、今必死で復興を目指しているのは皆さんも周知のことかと思われます。

森本喜久男氏のIKTTがあまりにも有名ですが、カンボジアでは他の地域でも、染織を特産としてがんばっている地域があります。たとえば遺跡もありますがタケオ州。有名なのはPhnom Cisor,高床式の家の下で織り機を置いてました。写真はないのかw。この州ではあちこちでタケオ特有のさまざまなサンポットや、ピダンを織り始めてます。シェムリアプでお土産にクメールシルクのきれいなものを買おうと思ってどのの産か聞いたらたいていタケオといわれるでしょう。

あるいはバンテアイミエンチェイ州のPhnom Srok。ここでも蚕を飼って絹織物を生産しています。
こっちはあります。無地のながーい布を織ってました。あるいは干してる糸が長いだけか。
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黄色い糸がいいですね。

が、どちらも商売用、産業としての染織、の要素が大きいです。

Vickery,Mのポルポト時代のシビアな検証本”Canbodia 1975-1982"には彼が内戦前、田舎の村で美しいサンポットホルに出会い、持ち主の女性に売ってくれるよう頼むのですが、決して売ってはもらえなかったという興味深いエピソードが載っています。女性にしてみれば布をよこせとか何を言っているのか理解できなかったことでしょう。

サンポットホルはもともとハレ着であり、宗教的な意味合いが強く売るものではなかったのだと知れます。
しかし、カンボジアの復興と発展のために絹織物産業を促進していくことは、それはそれでよいことではないかと思います。

ちょっと視点を変えて、今も50万人以上のクメール人が住む、ヴェトナムのメコンデルタ地帯、クマエクラオム(すなわち低地クメール、あるいはその住人)の絹織物が、どうなっているのかを見てみたいと思います。
理論上はポルポト時代の断絶とは無縁の、伝統が今も生き残っている村なのではではないかと考えられ、チャウ・ドックからも近く、アクセスしやすかったので行ったのではありますが。

といっても私が見学したのはもう4年前、2004年の9月です。また事情が変わっているかもしれません。
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ここはアンジャン省、チャウドックに近いクメール人の村、ヴァンヤウ(ヴァンジャオ)村です。
染織の村として知られています。看板はお寺の表示がありますが、クメール式のお寺は、見そびれました。てかこれ帰りがけに撮ったので気づかず。。。

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道沿いの家ではこうやって屋内で機を織り、即売してます。商品を広げるおばあちゃんの図。
家がもはやクメールの高床式ではないので、織り機は短いものになってます。

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おばあちゃんはタケオ州のと同じ、既婚者用の(あるいは年長者用の)縦縞(織的には緯)の入ったサンポットを巻いてました。

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えー肖像権が気になりますが^^;。

ご夫婦でいろいろ教えてくれましたが、こちらが理解してないので面目ありません。
おじいさんは写真のとき逃げました。

この村では染め、括りから自前でやってましたが、おばあちゃんの背後の色見本があるように、インド製の化学染料を使用してます。最初インドで染めてると、聞き間違えました。

おじいさんとおばあさんとに天然染料について聞きましたが、???という感じでした。彼らの小さいころからもう化学染料を使っていても全くおかしくありません。彼らはこのとき70近かったです。

仏領になって20世紀初頭にはラオスでも化学染料使用が始まってます。コーチシナでも使っていたことでしょう。

糸は
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ご覧の通り、ヴェトナムの絹糸で、カンボウジュ種ではなさそうです。

ポルポト時代の断絶というカンボジア本国での悲劇がなく、伝統が生き残っていると思っていたヴェトナム内のクメール染織も、近代化や、社会主義の洗礼を受けて、失われたように思われました。しかしそれも世の中の流れ。我々も同じような道のりを経てきたのは確かなことです。

さてそんな中でも、伝統として残っていることはあります。

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別の家では女の子が真剣に括りの作業中。奥のおばあちゃんがチェックしてます。
これは古来ずっと変わらない光景ではないでしょうか。

とちょっといい話したところで
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ちょっと道を歩いているとおばちゃんたちがこうやって織物を広げて襲い掛かって、いや売りに来ます。
これはえらく変わってしまったことかもしれません。お金があれば買うのですがないのがばれたので、おばちゃんもあきらめてたたみ始めてます。

このあと、最初のおばあちゃんの家には地区のお役人さんが巡回に来てました。
お役人さんはおばあさんたちを励まして帰って行きました(推測、握手して去っていった)。
複雑なことにクメール人だけど、あまりみなさんクメール語は話したがりませんでした。

やはりこの村は染織は盛んであるものの、村の産業として振興奨励しているようでした。
しかしどういう販路があるのか不明で採算に見合うのかもナゾでした。
チャウドックの町中で探しましたが市場でも売ってる店は見つけられませんでした。
つまり、クメール人の村を出てしまうとヴェトナムでも決してポピュラーなものではないということでしょう。。。

技法は、基本的な技術は残ってますが、糸や染料は現代化されていました。
高度な括りについてはどうでしょうか?
ざっと見た限り、この地域で織られていたと考えられる、
文字や仏様を入れた文様などはみかけませんでした。

しかし、それがいいとか悪いと、われわれには言えるものではありません。
ちなみにクメール染織の絣は結構高く、浮織のほうをお土産に買いました。それでも30$くらい。
多分、観光客向けの商品でしょう。これでどのくらい生活の足しになるのかはナゾですが。
ピダンは80$-150$位したと思います。

いずれにせよ、
新しいものでも、ヴェトナムのものでもいいので、クメールシルクが普及するといいのだが、とちょっと思いました。

と小学生の作文のような締めでおわってるし。