カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Snaeng Krabai Khang Tbongについてのメモ

本日も引き続き、Choam Khsantを基点にして探訪した遺跡について述べたいと思います。


Prasat Snaeng Krabai Khang Tbong
訳すると 水牛の角 寺院 南側。

Choam Khsantから南西の町外れに向かい、ずっとずっと南下したと思う。
時間的にもPrsat Preah Neak Buosより遠かった。
Phum Srae 地区にあり。あとは読めんクメール語リスト。町から10kmとある。
色々な苦労があったが、何とかたどり着いた。町を出て50分。

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環濠を越えて、朝日を浴びている、3基のレンガ寺院。この瞬間が一番ニヤニヤしている。

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シンハ(Tor :Lion)の足だけが残る。体は多分持ってかれた。


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たぶん中央祠堂の装飾。未完成。破風など見るとああNeak Buosの主祠堂と大体同じ時代だなーと分かる。
ホント今回はこの時代の寺院探訪が多かった。。。

碑文は今回ありませんのでご安心をw。

検証
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参った、やりたいことわかる。このGaruda。

特別出演 某B.S寺院のリンテルの一部。
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これを(劣化)コピーしたのか。。。

いやまてよ。。。

確かにバンテアイスレイに比べると劣化コピーに見えてくるが、
建物の様式とかはどうか。こちらのほうが、古いのではないか?

そもそも。
どう考えてもクリアン様式のが、バンテアイスレイ様式より古い、はずだ、
タッチの差ぐらいで(965年からvs967年から)。

この寺院もRajendravarman王(~967年)の事業かもしれないし、息子のJayavarman5世王(967~1001年)の事業かもしれない。。

どちらにしてもバンテアイスレイとは同じような時代、
それだけは間違いないのでこの寺院は10世紀中葉と考えられる。Q.E.D
って何も分かってませんがw。

・・・

何かそっけないのは碑文がなかったから?
いやちょっと、禁則事項です(意味不明)。

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南西角から。。。まあ、
なんとなくさびしいので。写真追加しました。

明日はにぎやかに北のほうへ参ります。
あの超マイナーなたらちねのお方登場しますよ?心は南印度に飛ぶ飛ぶ飛ぶ。

大検証だー。