Prasat Snaeng Krabai Khang Tbongについてのメモ
本日も引き続き、Choam Khsantを基点にして探訪した遺跡について述べたいと思います。
Prasat Snaeng Krabai Khang Tbong
訳すると 水牛の角 寺院 南側。
訳すると 水牛の角 寺院 南側。
Choam Khsantから南西の町外れに向かい、ずっとずっと南下したと思う。
時間的にもPrsat Preah Neak Buosより遠かった。
Phum Srae 地区にあり。あとは読めんクメール語リスト。町から10kmとある。
色々な苦労があったが、何とかたどり着いた。町を出て50分。
時間的にもPrsat Preah Neak Buosより遠かった。
Phum Srae 地区にあり。あとは読めんクメール語リスト。町から10kmとある。
色々な苦労があったが、何とかたどり着いた。町を出て50分。
環濠を越えて、朝日を浴びている、3基のレンガ寺院。この瞬間が一番ニヤニヤしている。
シンハ(Tor :Lion)の足だけが残る。体は多分持ってかれた。
たぶん中央祠堂の装飾。未完成。破風など見るとああNeak Buosの主祠堂と大体同じ時代だなーと分かる。
ホント今回はこの時代の寺院探訪が多かった。。。
ホント今回はこの時代の寺院探訪が多かった。。。
碑文は今回ありませんのでご安心をw。
検証
参った、やりたいことわかる。このGaruda。
特別出演 某B.S寺院のリンテルの一部。
これを(劣化)コピーしたのか。。。
いやまてよ。。。
そもそも。
どう考えてもクリアン様式のが、バンテアイスレイ様式より古い、はずだ、
タッチの差ぐらいで(965年からvs967年から)。
どう考えてもクリアン様式のが、バンテアイスレイ様式より古い、はずだ、
タッチの差ぐらいで(965年からvs967年から)。
この寺院もRajendravarman王(~967年)の事業かもしれないし、息子のJayavarman5世王(967~1001年)の事業かもしれない。。
・・・
南西角から。。。まあ、
なんとなくさびしいので。写真追加しました。
明日はにぎやかに北のほうへ参ります。
あの超マイナーなたらちねのお方登場しますよ?心は南印度に飛ぶ飛ぶ飛ぶ。
あの超マイナーなたらちねのお方登場しますよ?心は南印度に飛ぶ飛ぶ飛ぶ。
大検証だー。