Prasat Snaeng Krabai Khang Cheung1/2
昨日の、やけにあっさりした水牛の角寺院 南、でしたが、本日は、
南というからには北もある、って感じで、南の寺院から、1.5kmほど北に行けばここに着きますが、
そんなに単純明快にたどり着けるものでもございませんでした、
が、とにも角にも
南というからには北もある、って感じで、南の寺院から、1.5kmほど北に行けばここに着きますが、
そんなに単純明快にたどり着けるものでもございませんでした、
が、とにも角にも
その北に来たです。
我ながらつまらん。。。
我ながらつまらん。。。
うって変わってこちらは砂岩の寺院です。楼門は砂岩が足りなかったのか、上部はラテライトになってます。白砂岩がなかなか美しいなと思いました。オーソドックスに東向きです。
しかしながらこの寺院、ご覧のとおり、未完成です。
中央祠堂と、北祠堂には、ほとんど彫刻はないままですが、南祠堂は彫刻が、これも未完成ながら
残っています。
未完成ということは、たいてい完成して書かれると考えられる、碑文は残されてません。
中央祠堂と、北祠堂には、ほとんど彫刻はないままですが、南祠堂は彫刻が、これも未完成ながら
残っています。
未完成ということは、たいてい完成して書かれると考えられる、碑文は残されてません。
というわけで、残っている彫刻を手がかりに色々推察していきましょう。
東正面のリンテルと破風ですね。ああ。。やられてます。
彼らが本日第二部の主役ですが、とりあえず置いといて。
これだけ見ると、シヴァ教の寺院かと思われます。が、
南面をみると、藪ととげと、赤蟻で苦労したのを思い出しますが、
他にも北面はこんな感じですが、
これはちょっとうかつなことはいえないくらい分かりません。
これはちょっとうかつなことはいえないくらい分かりません。
しかし破風のほうは、木がからんでますが、よく見ると、
馬か牛の親子、うずくまる女性かサルかそして真ん中には、左手を天に掲げたような格好の
神様が見られます。
馬か牛の親子、うずくまる女性かサルかそして真ん中には、左手を天に掲げたような格好の
神様が見られます。
では西面は?といいますと、
破風は
てな感じで写真では分かりにくいですね。
てな感じで写真では分かりにくいですね。
中央3面の神様に見えなくもないので、シヴァ神なのかもしれませんが、左足を蹴っ飛ばしてる風にも見えます。大穴でブラウマ神かもしれませんが、これは分かりませんでした。
ではリンテルは?
リンテルの右端は、ナラシンハ(獅子面 ヴィシュヌの化身)かとも思えますが、
意外と馬っぽいのでヴァージムカ(どっちにしろ、ヴィシュヌの化身 ハヤグリーヴァじゃないのかというツッコミも受付中)かもしれません。
意外と馬っぽいのでヴァージムカ(どっちにしろ、ヴィシュヌの化身 ハヤグリーヴァじゃないのかというツッコミも受付中)かもしれません。
結論は出来ませんが、傍証として、上の写真のリンテルの左の女性
と、最初のシヴァ夫婦のリンテルの左の男神のサンポットの形から
アンコールワット期(12世紀1151年まで)と考えられます。
となると、Suryavarman2世王の意向が強かったとすれば、ヴィシュヌ教でしょう。
アンコールワット期(12世紀1151年まで)と考えられます。
となると、Suryavarman2世王の意向が強かったとすれば、ヴィシュヌ教でしょう。
南祠堂の両側の石扉にあった線刻ですが、これはちょっとありえないかもしれません。
頭の形とか足が両開きとか。
落書きと見ましたがさて?
頭の形とか足が両開きとか。
落書きと見ましたがさて?
今回は、まあ、こういう感じでいろいろこねくり回してみましたが、
たまにはこうやって見てみるのも面白くないかいなと思ったんですが、どうでしょう?
たまにはこうやって見てみるのも面白くないかいなと思ったんですが、どうでしょう?
しーん。。。
これだけの静けさにもめげずAKY(この場合あえて空気を読まないのry)
第二部では、せっかく破壊を免れた、彼女(写真3をご参照)について語りまくります。
第二部では、せっかく破壊を免れた、彼女(写真3をご参照)について語りまくります。
それにしても壊すのか盗掘するのか分からないけど、無残な壊し方だけは、やめてもらいたいですね。
明治の日本人はどうよ?とツッコまれるかも知れませんが^^;。
明治の日本人はどうよ?とツッコまれるかも知れませんが^^;。