Kulen 旅の限界か
えー。
花粉が飛んできたので、薬使ったら、気持ちよく爆睡してしまいました。
昨日すっとばしたことを、なかった事のようにはじめたいと思います。
本日と明日は、
Koh Ker(コー・ケー)の東の町、Kulen(Kulean:クーレン山とはまた別)の遺跡などを紹介したいと思いますが、今日は適当な遺跡メモで終わるかもしれません。
Koh Ker(コー・ケー)の東の町、Kulen(Kulean:クーレン山とはまた別)の遺跡などを紹介したいと思いますが、今日は適当な遺跡メモで終わるかもしれません。
なにせ行きたくとも
アプローチできねぇ。
ってところが多くて、話を聞いただけのところばかりでした。
道がない、今野焼き中、知り合いの田んぼよこぎって13km、などと。
ってところが多くて、話を聞いただけのところばかりでした。
道がない、今野焼き中、知り合いの田んぼよこぎって13km、などと。
Kulenの町でバイタク雇おうかと思いましたが、
男衆がいない。
いやいた。
町で一番の食堂に集結している。
町で一番の食堂に集結している。
はい銭かかってます必死です歓声も上げません見入ってます。
にわか賭博場である。
・・・。
待てよ何かおかしい。
にわか賭博場である。
・・・。
待てよ何かおかしい。
かんぼじあでもTVで格闘技やってるでしょうもん。
なんで、タイ人の殴り合いに金を掛けないといかんのだ。
なんで、タイ人の殴り合いに金を掛けないといかんのだ。
「いやー生放送だし、彼らはいんちきなしでやってるし。」ガイドさんに聞いてもらったら
んなこといってると。
んなこといってると。
バイタクは調達できぬは、飯も食えないわ。散々です。
道端の甘味小屋で無理言って 向かいの雑貨屋で買ってもらったインスタントラーメンのダブルと、孵化しかけのアヒルの卵、ポンティア・コーンをほじくりつつ
遺跡対策を練りつつ。。
道端の甘味小屋で無理言って 向かいの雑貨屋で買ってもらったインスタントラーメンのダブルと、孵化しかけのアヒルの卵、ポンティア・コーンをほじくりつつ
遺跡対策を練りつつ。。
土曜日、日曜日(Choam Khsantでは闘鶏で同じ現象)の田舎町ではこういう落とし穴もあるので
ご注意あれ。
ご注意あれ。
前置きが長くなりましたが、とりあえず今日は一つだけ遺跡紹介です。
の前に
Kulenの南にそびえる(ちょっと距離はある)
Phnom Pil
美しい山です。目印になります。標高170mくらいです。正確なところはまた訂正します。
Kulenの南にそびえる(ちょっと距離はある)
Phnom Pil
美しい山です。目印になります。標高170mくらいです。正確なところはまた訂正します。
この山の周囲に遺跡がけっこうあります。が、この山の山頂には遺跡はないようです。
三角点はあるようですが。なくてもちょっと登ってみたい気がします。
三角点はあるようですが。なくてもちょっと登ってみたい気がします。
この山の南にはKoun Ko,Koun Damrei(牛の子ども、のほかに象の子どももあるらしい)
南東には、ああ、グーグルアースで見つけて以来、とっても行きたかった、この地域最大の寺院Prasat Khna Sen Kaev(地元の人はKhna Thom)があります。最初いけるといっていた地元の少年案内人は、
時間も遅くなってきたためか
道はあるが竹が覆いかぶさってるし、野焼きしてるので通れないなどという。
時間も遅くなってきたためか
道はあるが竹が覆いかぶさってるし、野焼きしてるので通れないなどという。
「帰ろう、帰ればまた来られるから」と、某提督の名言をまねしつつ立ち去るのみ。。。
(理念とか目的とか全部間違っているが)
(理念とか目的とか全部間違っているが)
そんな中で、
ここも草をおしわけリンテルを見てみました。リンテル以外の装飾はほとんど見られません。
東正面 剥落がひどいですが、中央3体は3面六臂の、両端は禅定印の、神様か仏様かが見えます。
東正面 剥落がひどいですが、中央3体は3面六臂の、両端は禅定印の、神様か仏様かが見えます。
うーん、実際これらが何か、分からない。
他の面のリンテルを
北
西
南
北
西
南
なんと言ったらいいのやら。。。
未完成+できたところは盗まれた。って感じでよく分からないですね。
ただ、だいぶ作りが簡略化され、タッチも硬いようです。
時代が下っているとみましたが。
ただ、だいぶ作りが簡略化され、タッチも硬いようです。
時代が下っているとみましたが。
多分ここは、明日出てくる二つの寺院もどきと関係する、王道上の宿泊所か、施療院(ダルマサラ)と思われるのですが、となるとあの王様7世の仕事で、バイヨンで仏教で、
というには、手がかりが乏しいです。
というには、手がかりが乏しいです。
近くをワット・プーへの王道が通っていることは確かでしょうが、なぞですね。
未完成ということで(たぶんJayavarman7世)王の事業も、彼の死まで果てることなく続けられていたと想像することはできますが、実際はどうでしょう。
夕日に照らされている遺跡を見ていると、なんとなくいろいろ思いますが、
まあ、真っ暗になるまで次いってみようって感じで。
まあ、真っ暗になるまで次いってみようって感じで。
その後、この町でも夕食遭難。
昼間の賭博食堂、夜はみんなのカラオケ場になってて老若男女が集ってました。
幾人かはボッ・クロホン(ソムタムですね:パパイヤを叩いたってまんまの意味:だいたいおやつみたいなもん)
を食べつつ見てますが、あれは危ない。食ったら多分当たる。昔プノンペンで撃沈したので
(生のサワガニの塩漬けなど入っております。寄生虫にも気をつけよう)
遠慮しますが、となると、ご飯以外何もない。
幾人かはボッ・クロホン(ソムタムですね:パパイヤを叩いたってまんまの意味:だいたいおやつみたいなもん)
を食べつつ見てますが、あれは危ない。食ったら多分当たる。昔プノンペンで撃沈したので
(生のサワガニの塩漬けなど入っております。寄生虫にも気をつけよう)
遠慮しますが、となると、ご飯以外何もない。
雑貨屋で調達して来てくれた、どこかの国のいわしの缶詰とご飯と、仕方がないのでビールをひたすら飲みました。
と思いつつビールを飲みながら、
うーん、こういう旅も悪くはないが、
遺跡をひたすら回るためには、今のスタイルでは限界が来てるのか・・・
遺跡をひたすら回るためには、今のスタイルでは限界が来てるのか・・・
と憂いも晴れぬ、Kulenの夜でした。