カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Kdakの追加するべき1,2の事柄。

えー。
今日は短いです。
昨日の寺院に付属する貯水池についての写真追加です。

まず、西側の池。小さいです。しかし、昨日ご紹介したとおり、池の東面にはシンハが並んでいたのではないかと推測されます。

西の池の写真が見当たりません。その近くのシンハでご勘弁くださいませ。
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首がないのがきのどくです。


次に入り口北側の濠です。
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これも写真がどうかと思われますが。南側にも池があったようですが埋もれてたような。
記憶力がっ。

最後に一番大きな貯水池です。
寺院の正面参道の東に広がります。
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東西が300mくらい、南北は100mくらいはあるかと思いましたが正確には?です。

追記 東西と南北を間違えておりましたので、訂正します<(__)>。

池とくれば陶片が落ちてたら少しは時代考証の役に立ちますが、枯葉が多いので分かりませんでした。

この東南角に
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このように傾斜から言って取水口が残っていました。
北東角は、行って見ましたがありませんでした。
ついでに西端まで歩く元気もありませんでした。

これだけこの寺院が池というか、水にこだわっていたのは何ゆえか、ひとつのナゾではあります。
宗教的な意味か、それとも灌漑など実用的な意味なのか。
・・・

これだけではつまらないのでおまけ写真を。
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中央祠堂の屋根のNagaです。完成してたのはあと1基ぐらいでした。

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未完成のほうがなんかかわいい感じもします。

うってかわって
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中央祠堂内部。
盗掘されたのでしょうが、詰まれたラテライトの基盤が整然としているのが分かります。
最初から地下にこういう空間が存在していたように思われます。何が埋められていたのでしょうか。
あるいは水?

どうでもよい情報
集落で遺跡を聞いたらおばちゃん2名がけだるく案内してくれましたが、やはりお金を求められました。
まあ二人で1$でしたが、なんとおばちゃんたち、ドル札を拒否してリエルでないとだめだといいます。

あまりドルなど使わないだけなのか、ガイドさんが冗談交じりに言うごとく、民族主義の村なのか。
過去の歴史とか関係あるのかもしれませんが、ここはさらりと流して。
おばちゃんたちに剣呑な感じはしませんでしたが、あまり外部との交流もないようでした。
豆の季節以外は。

豆好きなんで売ってたら買おうかと思ったんですが、カラカラの乾期でありませんでした。
どうも大豆のようです。マメな豆情報はこれくらいにして(苦しい)


Kulen の南部について。
昨日書いたプノンペン周辺の情報をいただきましたので(昨日の記事のコメをご参照、KI様感謝です)

遺跡の位置など少し手直ししまして衛星写真を再アップ。
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白い線は、不正確ですが、大体の私のアプローチ(途中挫折も含む)ルートです。Kdak村からKulenに通じる道もあるそうですが、悪路とのことでした。バイクならそうでもないかもしれません。

プノンペン地区は広大で、その中にKhnar地区(rが必要でした)がありこれも広大です。
最初プノンペンで、まだKhnarには着かないのかきいたら、ここもKhnarだといわれました。

途中や、案内してくれた少年に
いろいろ遺跡情報、聞いたのですが、時間も方法もなく、今回は断念。。。

今回の挫折遺跡 in Kulen近郊
Srae Prasat

Prasat Sen Kaev(Khnar Thom)

Prasat Kon Ko
Prasat Kon Damrei

Prasat Ta Phong(?これだけ、西部。闇雲に藪の中突っ込んでみたが分かるはずもなし)

Kulenは遺跡が多く、その北部にも憧れの寺院があり、また、行って見ようと思います。
あ、Kulenの町で遺跡はないかときくと、KoKerにあるだろが、と返されることが多かったでした。
ごもっとも。