カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Trau (Angkor Chum)

本日より
場所を移動して、しばらくは

王道がタイのスコータイまで延びるその途中、
シェムリアプ州アンコーチュム辺りの遺跡をご紹介いたします。昨年の秋と今春と2回分を一通り。。。

追記 コレは大ぼらですね。王道沿いの遺跡も紹介しますが、今回のPrasat Trauは、外れてます。
   お詫びして訂正いたします<(_ _)>。

とはいうものの、どこら辺だ?と思われる方も多いでしょう。

本日発見したこと。
自分のブログのリンクを張ればよいのかもしれないこと。

http://blogs.yahoo.co.jp/vyadhapuresvara/archive/2008/1/21
サツマイモを海水で洗って食うとうまいと発見したサルと同じような感動です。
が、
サルがモノリスなしで自力で進化するには時間がかかるのです。
・・・サルに失礼というなかれ。

はい、リンク先の写真は
旅の前にAymonierの本から取り込んだこの辺りの地図です。下のほうにおなじみ西バライが
ありますね。下の端っこはおなじみ空港のあたりです。
ここまでくれば、ああ。と思ってくださるでしょうが、そこから都の西北
早稲田大學はありませんが遺跡や橋はたくさんあります。

赤いのは全部遺跡です。しかも載ってるのはごく一部です。
なにせ100年以上前の本です。新発見だらけですが、2年前大阪で講演会がありましたが
忘れてしまいました。家の中から資料をみつけたら数字を挙げたいと思います。

それでもその当時からのフランス極東学院の調査魂には頭が下がりますね。

そのおかげでこうやってあちこち探訪できますから。。

では、早速いってみましょう。
本日の遺跡はPrasat Trau(Trav /Trao) 木の名前らしいです。の寺院です。

追記 Aymonierの地図ではPrasat Trao になってます。先ほども申しましたとおり、
王道とは全く関係がないところにあります。ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ。


ずばりTrav集落にあります。
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小学校もプラサートトラウ小学校と書いてあります。遺跡のすぐ南側にあります。
休み時間にいっせいに遠巻きに見物に来ました、が鐘がなるとすばやく撤退して行きました。

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後述しますが、寺院が1基のみで孤立しているわりには環濠が大きめです。

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引っ張りすぎだよ、といわれつつ、やっと寺院です。堂々と東向きに建っています。

参道の両脇に台座や壊れながらも狛犬のようにシンハが置かれています。
地元の人がしてくれたと思うと、ありがたいことです。こっちは右側(左右はすべて寺院からみてです)
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こういう台座を見ると妄想がふくらみます。
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シヴァ神とウマー女神とが寄り添っていたのではないかとか。。。

リンテルはありませんでしたが、装飾などにも注目してみましょう。
けっこう明日の考察のためにも、肝です。どうでもいいですが。

石柱、右側は倒れてしまってます。
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ちょっと建物と石柱と一緒に見ると、その大きさがなんとなく分かるかと。
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はい
調子に乗ってきたので今日は石柱特集です。
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左側は立っています。そのアップです。典型的なアンコールの、大雑把に言って前期の特徴でしょうが、時代は保留のままで参ります。

その足元を見ますと
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神様か仙人かわかりませんが、困惑したような表情が私的に同情を引きます。
でも地元の人が線香を手向けて下さってます。

なんかまた、心が和みまくります。

いや横で子どもが小鳥パチンコで撃ち殺して遊んでますが。

・・・

今日も和んだところで終わりたいのですが最後に一枚
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祠堂の基盤の石の蓮弁文の彫刻です。
下のほうが未完成なのが分かりましょう。

なんとこの寺院、未完成ですがそれでも碑文が残されていました。
このことはちょっと重要事項ではないかと思ってます。
明日は久々に碑文解読に挑戦してみたいと思います。

って本の丸写しですが、ハイ。

参考および引用
E.Aymonier”Le Cambodge Ⅱ”より carte 4