カンボジアの歴史探訪 2

つかいにくいのでFC2にて活動しますわ。

Prasat Travについて その3

えー。

昨日久々に碑文を見てみましたが、
この碑文の書かれたシャカ暦1031年=西暦1109年に
この寺院が建ったのではない

ということを、今日は考察していきたいと思います。

イメージ 1

アイキャッチに意味もなく画像を入れてみましたが、
今日もテキスト中心になるので、てきとーに流してください。

まず、碑文自身に祠堂を建てたことは、特に記されていません。しかしこれは、他の碑文でもありえますので参考にはなりにくいでしょう。

むしろ、

碑文の最後の方に出てきますが、ちょっと訳がおかしかったので手直ししましたが^^;
(さらに、それでも間違っているかもしれませんが)

「Kamlun Srukの東隣にある囲まれた土地は、そこにアシュラムがあり、二面の田んぼは・・・」

その前の文、「神の前にあるアシュラム・・・」との整合性がどうなのかと思われますが、

いずれにしても
この碑文においては
「すでにアシュラム」が建っていることを前提としているわけです。

このアシュラムこそがPrasat Travであると結論付けるのに支障はないでしょう。
じゃなきゃこの祠堂に碑文は残さないかと。

このPrasat Trav、往時はアシュラムであり、ある程度の学生(神学生)を抱えていた
のかもしれません。

ここでアシュラムが往時、僧院だったのか、学校だったのかという疑問もありますが
主人公とその一族に見られる名前が、Dharmasila、すなわち宗教的な徳を持つ、という意味であり、
一族にその学生の長がいて協議にも参加しているようだし、そもそもその当時、学問といえば宗教的なものであるでしょうから、どちらもおなじような意味ではないかと思われます。

どちらにせよ写真のように
イメージ 2


一基のみのアシュラムにしては大きめの環濠があり、これは宗教的意味もあるのでしょうが、
それなりの人数に必要な水の確保の意味もあったかもしれません。ちょっと大きすぎですがw。

さて、碑文だけでなく実際この寺院を見て
実際いつごろこの寺院は建てられたのか?
を推測してみますが

イメージ 3


先日の写真と同じように石の彫刻は未完成だったようで、
未完成の寺院に、同時に碑文を残すことは考えづらいでしょう。
やはり1109年より以前に作られたといっていいでしょう。

あとは大体の美術様式からですが、シンハの形や残された石彫りから
はもう、いつもいつもすいませんって感じですが、10世紀後半。

あとは
建築様式 石柱の組み方などで考えうる限り推測していきますが、

イメージ 4


入り口のまぐさ石と側壁になる石柱の組み方(石枠の組み方、切り込みの入れ方と形)
をよくみてみると、10世紀に多いパタンであるといわれます。(1)

祠堂自体も今まで私が散々言って来た10世紀後半、っていってたレンガ塔と同じに見えるでしょう。
イメージ 5


まとめましょう。

大体この祠堂が建てられたのは10世紀後半くらい。
最初から一基のみの祠堂だけど環濠は大きく作られた。
付属する木造建築が想像されるが推測のみ。
しかし、何らかの事情で未完成となった。


時は移って、西暦1109年

この祠堂はアシュラムとして使われていた。

碑文の主体であるDharmasilaとその一族は、当時、王権をもったDaranindravarman1世王に属していて、このアシュラムと、その領地(多分この辺り)の実力者で
このアシュラムの寺領とそれに属する、奴僕、神に捧げる米の収量についてのとりきめをした。
が、その話し合いには司法関係含めてこの地の高官クラスが参加した。(代理もいたが)。

それと、現王の祖母の亡き王女にゆかりがあったのか、その王女を祀った。

ちなみにDaranindravarman1世にVrahとかRajya(王)とかをつけてないのは何かしらの意味があるのかもしれないけど保留です。

ってことでしょうか。とりあえず暫定的なものです。

いつもまとまりないですが、
今回は碑文の検証と、建造物そのものの検証からいろいろ考えてみました。
こうやって少しづつでも歴史の真実の一端に触れられるよう進めて行きたいのですが

どうも妄想が炸裂してるだけのような気が^^;。

参考文献 追加分

(1)片桐正夫・石澤良昭・重枝豊・崔炳夏・三輪悟・石津菜央・高橋正時・香川正子・Chhean Ratha・Mao Sokny”「クメール建築(9~11世紀)にみられる開口部の仕口について」 カンボジアの文化復興(16)P56-58”1999年12月

ネットで公開されてます。上智大学アンコール遺跡調査団のHPのドキュメントご覧くださいませ。
http://angkorvat.jp/doc/doc_cul.html#ang_cul20